「柳行李」のなかに服の着替えを入れて

「実は学園に入ったのは兄貴と自動車整備工場をやろうという動機だけではなかったのです。それは半分くらいで、あと半分はお金をもらって勉強ができるならこんないいことはないと思った。僕は4月生まれですから、15歳でトヨタに来て16歳から今まで53年、働いています。

来た時は東京までは東北本線で来て、東京からは新幹線のこだま号で豊橋まで来た。豊橋からは全員がDR15というトヨタのバスに乗って、夕暮れから夜に向かって国道1号線を走ってきました。学生服で丸坊主の団体です。荷物は学園がくれた大きな手提げバッグがひとつ。事前に柳行李やなぎこうりのなかに服の着替えを入れて寮に送りました。今の人に柳行李といっても一体、何のことかわからないでしょうね。ネットで検索したら出てきますよ。

学園に入ったらすべてを教えてもらいました。クルマのこと、社会人のルール、マナー、そして貯金もできました。僕だけじゃなくトヨタで働いた後は故郷に帰って何かやろうと思っていた人は何人もいました。やめた人もいました。学園はトヨタで働いてもらうために一生懸命、教えます。ただ、それでもやめてしまうことがありました。思えば、もう少し頑張っていれば素晴らしい未来があったのではないか。そう思えて仕方ありません」

菅原政好さん
撮影=プレジデントオンライン編集部

30年続けたテストドライバーという仕事

菅原は学園を出てから技術部に配属され、クルマを評価するドライバーになった。試作車、量産車で実地走行して、性能、乗り味を評価する。それが技能員としての職務だ。トヨタには技術員がやる職務もある。技術員は大学を出たエンジニアで、クルマの設計、開発を主に担当する。開発は技術員、テストドライバーは現場で働く技能員の仕事だ。

なお、学園の高等部を出た技能員の配属だが、8割は生産部門、つまり工場勤務になる。残りの2割は製造技術部門。開発部署だ。菅原は開発部署に属するテストドライバーとして来る日も来る日もテストコースを走る仕事を続けてきた。

菅原は「うん」とつぶやき、話し始めた。

「50年以上勤めてますけれど、振り返ってみれば幸せな一生ですよ。まだ、終わってませんけれど……。テストドライバーを30年もやったわけですから。これまでトヨタが出したクルマにはすべて乗りました。センチュリーも乗りましたし、ミニバンも、何でも乗りました。印象に残っているのはスポーツカーです。スープラが出た時、夜中に試走したことがありました。非常にいいクルマだなと思いました。ものすごくインパクトの強いクルマです」