哲学者ミルが語った「自由の本質」
では、どこまでなら個人の自由に干渉することが許されるのか。この問いに対して明快な答えを提示してくれるのが、19世紀の英国を代表する哲学者であり経済学者であるジョン・スチュアート・ミルの『自由論』です。
ミルは本書の目的を、極めてシンプルな原理を示すことにあると述べています。
つまり、その人の行動がほかの人たちに危害を及ぼす場合に限り、身を守るための反撃や妨害といった力の行使が許されるが、それ以外のケースでは、相手がやりたいことを邪魔してはいけないと言っているわけです。
もし深夜に住宅街でサックスを吹いている人がいたら、周辺の住民は睡眠を妨げられ、健康を害する恐れがあります。よって、他人がその行動をやめさせようとする行為は正当化されます。
一方で、奇抜なファッションで街中を歩いている人がいても、それが公序良俗に反するものでない限り誰にも危害を加えていないので、他人がその格好をやめさせようとするのは不当であると考えられます。
常識に従うと幸せは減る
ミルが示しているのは、一人一人が個性を発揮することの大切さです。
人間が様々な意見を持ち、様々な生活スタイルを試みて、様々な性格の人間が最大限に自己表現することは、悪ではなく善であるとしています。
さらには、自身の性格ではなく、世間の伝統や慣習に従って行動することをルールにすると、「人間を幸せにする主要な要素が失われる」と指摘しています。
私たちが幸福であるためには、皆が一律に考えて同じように振る舞うのではなく、“ちょっと変わった人”がたくさんいる社会が望ましいのです。
フェイクニュースに惑わされる人の特徴
常に伝統や慣習に従う人は、人間としての能力も育たないとミルは述べています。
「皆がやっているから」という理由で周囲に従う人は、自分自身で良いものを探したり、見分けたりする「選択」の作業をしていません。だから洞察力や判断力が育たず、他人が言うことやネット上の不確かな情報を信じやすくなります。
ミルは人間の知力や精神力も、筋肉と同様、使って初めて鍛えられるとしています。「自分で選択する」というトレーニングを積まないと、これらの能力は決して身につきません。
自分で選んだ結果、失敗することもあるでしょう。しかし、痛い目に遭うからこそ大きな学びがあり、力を伸ばしていけるのです。


