「大手町にほぼ決定」と報じられたが…

この時点では、手狭なので早々に移転先を決めるべきだという、まだ漠然とした議論に過ぎなかったが、数年後にはいよいよ切羽詰まった問題になっている。『東京朝日新聞』1922年10月28日付朝刊では「手狭の市庁間に合せ(ママ)に増築の計画」では、多くの部局が別々の建物で業務を行っているため、非効率であるばかりか無駄に経費がかかっていることを問題視している(※4)

とにかく、庁舎が分散して不便なばかりか、賃貸等で余計な費用がかかるばかりなので、一刻も早く移転先を決めるべきという方向性は誰もが共有していた。これに対して、東京市でも移転先探しは急いでいたらしく『東京朝日新聞』1924年11月20日付朝刊には「市庁舎移転大手町にほぼ決定」という記事が掲載されている。ここでは、前述の憲兵隊の敷地及び、周辺の内務省、宮内省所有地の譲り渡しと換地の提供の交渉が成功し年明けにも決定すると報じている(※5)

※4 「府庁の一部を間借りしている東京市役所はその後益益狭隘を告げ電気、道路、社会の三局を初め、学務、衛生、公園、河港、調査の各課はいづれも別の建物で事務を執っているため非常に不便を感じている。(中略)来年度からは少なくとも五百坪乃至一千坪の貸事務所でも借りなければならない程事情は切迫している。それでこの間代を坪一箇月十円として一千坪ならば一箇年十二万円を支払うことになる。」
※5 「価格問題で目下折衝中であるが早ければ本年末遅れても明年初めには万事の決定を見る筈である。」