なぜ本を踏んではいけないのか?
このように、私にとって本は単なる情報の伝達手段ではなく、著者の人格そのものです。本に書かれた言葉を追っていると、まるで目の前に著者がいて自分に語りかけているように思えてきます。
私は『なぜ本を踏んではいけないのか』(草思社)というタイトルの本を出したことがありますが、「本=人格」と考えれば答えは明白です。「あなたはゲーテを踏めるのか?」「夏目漱石を踏めるのか?」と問われて、首を縦に振る人はいないでしょう。
先人が魂を込めて書き上げ、本として残してくれた言葉は、私たちの精神を耕して豊かにしてくれます。1冊の本を読むたびに、心の中に1本の樹が植えられ、それが10本、100本と増えていって雄大な森が育まれる。そんなイメージです。
樹木は長寿なので、いちど植えたらずっとその場所で生き続けます。私が子供の頃に読んだ『フランダースの犬』などの児童文学やジュール・ヴェルヌのSF小説も、1本の樹として今も自分の中に残っています。
どの樹も枯れることがないので、本をたくさん読むほど、心の森は広がります。自分の人生で経験できることは限られますが、本を開いてそれぞれの著者が見ている世界に入り込むと、その度に新しい出会いや発見があり、自分の世界もどんどん広がります。
歌手のJUJUさんはコンサートで日本各地へ行ったとき、必ず書店に立ち寄るそうです。その理由を「本は新しい世界に連れて行ってくれる。私にとってドラえもんの『どこでもドア』みたいなもの」とテレビでおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。
1000年前の小説に現代人が共感できる理由
本の中でも「古典」と呼ばれる書物には、長きにわたり人々に感銘を与えてきた言葉が詰まっています。時代がどれだけ変化しようと、風雪に耐えて現在まで残ってきたものが古典であり、そこに記された言葉は時を超えた普遍性を持ちます。
世界最古の長編小説の一つとされる『源氏物語』は、1000年以上も前に書かれた作品ですが、現代人が読んでもストーリーにぐっと引き込まれます。それは登場人物の心理に共感し、「当時の人たちも、今の自分と同じようなことで悩んだり、傷ついたりしたのだな」と思えるからです。
普遍性のある言葉に触れ、「時代背景や環境は変わっても、人間の本質は変わらない」と気づく。これが古典の良さであり、「どんな人でも共感できるところがある」と思えば、人間に対する信頼感も生まれます。

