人前で平気で酔いつぶれる江戸っ子たち

本船町あたりの路上に目を移すと、魚や野菜を売る人たちに交じって、酒の立ち売りも見られる(図②)。

早い時間に仕事を終えた江戸っ子は、店に寄らずとも、道すがら、立ったままのちょいと一杯を、気軽に楽しんでいたのだ。通勤電車の座席で缶ビールを空けようものなら白い目で見られる現代とは大違い。

図② 昼日中、しかも路上で酒が売られていたお江戸日本橋。『熈代勝覧』。『江戸呑み』より。
図② 昼日中、しかも路上で酒が売られていたお江戸日本橋。『熈代勝覧』。『江戸呑み』より。

そう、昔の日本社会は酔っぱらいにも実に寛容だったのだ。

だから来日した宣教師たちは、日本ではじめて人前でも平気で酔いつぶれる人間に遭遇そうぐうして驚愕きょうがくし、しかも泥酔自慢でいすいじまんをする者を前に、「われわれの社会では恥辱ちじょくなのに」と言葉を失っている(例えば、ルイス・フロイス『日欧文化比較』)。

「火事」と「喧嘩」は江戸の華

「火事と喧嘩けんかは江戸の華」という有名な言葉がある。

江戸の町では酔ったうえでの喧嘩が絶えず、社会は酔っ払いには寛容でも、統治者は酔っ払いを取り締まらざるを得なかった。

5代将軍徳川綱吉(在職1680~1709年)は自身が酒嫌いだったこともあり、たびたび大酒禁止令を出している。

また、8代将軍吉宗(在職1716~45年)の頃には、酒が原因で暴力をふるったり、殺人を犯したものへの処罰規定が明文化されている。

武家奉公人が罪を犯した場合は庶民より厳しい処分が下されたが、これはおさむらいでさえ、平気で町中で泥酔していたことを物語る。