隅田川の端から端まで「もらい酒」

山岡鉄舟は単身敵陣営に乗り込み、西郷隆盛と直談判して江戸の町を戦火から救った豪傑として知られるが、酒の飲み方も実に豪快だった。

剣術の弟子2、3人と小石川の自宅から向島に花見に出かけた折のこと。酒を5升ばかり買い込んで歩きながら飲んでいると、花見をする前に酒がなくなってしまった。酒を買い足そうにもみなふところが寂しくかなわない。

そこで鉄舟がとった行動が“もらい酒”。

当時は見ず知らずの人でも、宴席の中挨拶をすれば、「まあどうぞ一杯」と酒がふるまわれる幸せな世の中だった。そこで鉄舟は満開の桜の花の下、隅田川の端から端までもらい酒で飲み歩いたという。

江戸の二日酔い対策は「から汁」で

しかしそんな大酒呑みにも二日酔いは付き物。迎え酒をする、チキンスープを飲むなど、世界中に二日酔い対策はあるが、江戸っ子に支持されたのは「から汁」。

から汁とは、おからの入った味噌汁のことで、これを呑めば二日酔いが治まると信じられていた。なるほど味噌汁は電解質だから、水分とミネラル分を摂取でき、スポーツドリンクと同じような効果がある。

昔の人はよく考えていたんだなあと思いきや、さにあらず。江戸の酒呑みたちは酔ってなお満足せず、おまじないのようにから汁を飲んでは、また呑みなおすのが常だった。

図④ 「夜明し」と呼ばれた深夜営業の居酒屋。こうした店の多くは「から汁」を用意していた。『七不思議葛飾譚』三篇。元治2(1865)年。国文学研究資料館所蔵。『江戸呑み』より。
図④ 「夜明し」と呼ばれた深夜営業の居酒屋。こうした店の多くは「から汁」を用意していた。『七不思議葛飾譚』三篇。元治2(1865)年。国文学研究資料館所蔵。『江戸呑み』より。

図④は「夜明し」と呼ばれた深夜営業の居酒屋。こうした店にはお約束のようにから汁が置いてあった。

絵の中の客は「あつくかんしてまづ五合はやくはやく」と店主をせかしている。何軒かのはしご酒の末にたどり着いたのだろうに、「まづ五合」とは!