日本の医療を受けさせたいと思ったが…

正直に言えば、まさかぼくがチェルノブイリにまで出かけることになるとは思ってもいなかった。

地域の医療、信州の健康作りで、小さな病院の仕事は忙しく、手一杯だったのだ。

けれど、「死を待つだけの小児病棟の子どもたちを助けて」という悲鳴のような声を放ってはおけず、ぼくたちは1991年、JCF(日本チェルノブイリ連帯基金)というNGOを作り、チェルノブイリに調査に入った。