〈「本気で言うてんの? みんな働いてんねんで」5浪目に突入した息子(33)に年収180万家庭の母親が言い放った一言《地方×底辺校×貧困家庭の三重苦》〉から続く
「9浪はまい」こと濱井正吾氏(33)は、27歳・9浪めで念願の早稲田大学教育学部に合格。「学歴コンプレックスは完全に解消した」と笑顔で語る濱井氏だが、昨年から大学院入試のため、またもや“浪人”生活に入っている。
さらに学歴を重ねようとする彼は、何を目指しているのか。本人に話を聞いた。(全3本の3本目/1本目を読む)
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9浪めは「人間として完全にヤバい領域に踏み込んでいました」
――8浪めは、6大学11学部を受けて全落ち。もう受験をやめようと思いませんでしたか?
濱井 気分はどん底でしたが、数字を見ると学力がついてきた実感がありました。センター試験の7科目の得点率は、6浪め39%、7浪め49%、8浪め58%と確実に上がっていて、文系3科目だけで見ると、8浪めは72%だったんです。
――文系科目で受験できる私大ならば、かなり現実的な数字に?
濱井 はい。72%という数字を信じれば、同志社や明治に手が届く気がしました。そこで9浪めは京都の予備校に入り、下宿を借りました。ただ勉強のためとはいえ、ひとり暮らしを始めたことで、人間として完全にヤバい領域に踏み込んでいました。
――「ヤバい領域」とは?
濱井 9浪スタート時は貯金残高が150万だったので、限界まで節約しました。家賃1万2000円で4畳のアパートに住み、もちろんエアコンはなし。でも京都の夏は暑すぎて寝られないので、布団に水をまいたら畳がダメになり、3万払いました。
――判断力も失っている感じがします。
濱井 1日に15時間ぐらい勉強していたので、顔の表情も無くなるんです。ドライアイで目が血走り、歯医者も行けないので虫歯は神経に達していました。夏までは予備校に行く交通費も惜しくて、参考書を読みつつ2時間かけて徒歩通学。しかも、服は洗濯しなくてもバレにくいと思って、毎日スーツでした。絶対に臭かったと思います。
――でも、当時はわかっていなかった?
濱井 他人の目は構っていられませんでした。「また落ちるかも」という不安だけでなく「お金が尽きるかも」という恐怖心もあったんです。
そんな最悪の9浪めでしたが、京都の予備校に変えたのは大正解でした。ここで私は英語の「構文」を初めて理解しました。それまでは、単語を暗記すれば英文を読めると勘違いしていたので、勉強のやり方がやはりおかしかったんです。赤本もやり込み、早稲田の過去問だけで複数の学部を合わせて国語60年、英語60年、日本史は80年分解きました。