都の路上でバクチにカツアゲ、大乱闘……500年前の日本はどのような様相を呈していたのか? ここでは歴史学者・清水克行さんの新刊『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。
テレビ制作会社から来た「伊達政宗とずんだ餅」に関する取材依頼に、あ然とした理由は……。(全2回の1回目/続きを読む)
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最近は歴史をテーマにした番組が多いので、よく僕のところにもテレビ制作会社からの取材が来る。
以前、ある民放のテレビ番組のAD(アシスタント・ディレクター)さんから電話があって、「伊達政宗がずんだ餅を発明したというのは本当ですか?」という質問をもらった。その番組では「枝豆は健康に良い」という企画をやりたいとかで、ついては枝豆が日本の歴史上どれだけ愛されてきたかをユニークな逸話をもとに紹介したいのだという。
真相はいかに
ずんだ餅とは、餅にすりつぶした枝豆の餡をからめた菓子で、宮城県の名物である。このずんだ餅を、仙台の街を築いた有名な戦国大名、“独眼竜”伊達政宗が発明した、というのは、よく聞かれる話だ。しかし、残念ながら、これは根拠のない俗説なのである。
東北地方の太平洋岸で枝豆栽培が発展したのは、江戸時代以降のこと。グルメ都市江戸で大量消費される醬油を現在の千葉県の野田や銚子で製造するにあたり、その原料となる大豆の生産が後背地である東北地方で奨励された、という背景がある(これにより極端な大豆の単作化が進んだことが、江戸時代に東北地方太平洋岸で大飢饉が頻発した原因の一つでもある)。ずんだ餅は、そうした東北地方の大豆生産から派生した菓子であって、当然ながら、伊達政宗の時代には、まだずんだ餅は無い。
というようなことを、僕はADさんに事細かに説明して、むしろ枝豆の歴史を語るなら、そうした江戸時代以降の農業事情などを押さえたほうが良いのではないか、と真面目にアドバイスした(なお、テレビ制作会社からの学者への取材は基本的にノーギャラである)。