奈良県の5分の1の面積を有する十津川村は、1944世帯・約4000人が点在する集落に暮らす山村だ。その谷間を貫く国道168号線沿いに、役場と診療所、警察署や道の駅が川を見下ろすように立ち並ぶ村の中心部がある。
この役場2階の総務課に、土砂災害による人的被害発生の第1報がもたらされたのは、9月3日土曜日の午前9時58分のことだった。場所は村の南部に位置する上湯原地区で、役場職員が救急車両で現場へ向かおうとしたが、細い県道は沢から流れ出た岩や土砂に塞がれている状態だった。土砂災害現場では地元住民による救助活動が行われたが、結果的に男性の死亡が後に確認された。
約1週間前にマリアナ諸島の西の海上で発生した台風12号は当時、強い勢力を保ったまま高知県東部へと上陸したばかりだった。予想外だったのは、順調な速度で進んでいた台風の速度が急速に遅くなったことだった。総務課で災害対応に当たった鎌塚康史さんは、「空に向かって祈りたい気持ちだった」と言う。
「紀伊山地はもともと雨の多い地域ですから、最初のうちは『けっこう降っているな』といった程度の感想だったんです。台風は上陸してしまえば後は雨雲が減っていく。ところが、その雨が何故か止まず、南から雨雲が次々に湧いてくるんです。これは何かがおかしいと感じ始めた矢先に、最初の人的被害が出てしまった」
同村にある風屋観測局の雨量を見ると、3日の午前中の時点で降り出しからの雨量は約600ミリに達していた。台風はその頃から速度を弱め、結果的に同地点では1360ミリを記録する。時間雨量30~40ミリの雨が、「台風が過ぎ去った」と考えられていた時期からさらに24時間以上にわたって降り続いたのだ。
雨による災害は一般的に、浸水や道路冠水から道路の法面崩壊、川の氾濫を経て最後に土砂災害が起こる。川の増水や道路の崩壊といった「経過の見える災害」の末に、大規模な土砂崩壊という「経過の見えない災害」が起こるのだ。そこに水害の恐ろしさがある。十津川村のような小さな自治体にとって、すでに土砂災害が発生しているにもかかわらず雨が降り続くという事態は、行政機能の麻痺を予感させる恐怖そのものだといえた。
「どこで土砂災害が起こるかが分からないため、その時点では安易に避難指示を出すこともできませんでした。特に(95%が山地である)十津川のような山間地での避難の難しさを痛感しました」
こうした懸念が現実のものとなったのは、同じ日の夕方にもたらされた一本の電話だった。相手は役場から北に7キロメートルほど離れた野尻地区の住民で、「ドンという音がして道路に水が上がった。付近の住宅の無事が確認できない」という。