どうしてこんなことになったのか…

家族には現状を共有することはできません。父親が「うつなんて甘えたこと言って、これだから女は。でかい会社に入って調子に乗ってたのに、みっともないな」と馬鹿にしてがっかりした様子で言うのが想像できるからです。母親は「まあまあ」と言いつつ、耳元で「お父さんが不機嫌になっちゃうから、早めに復職してね?」と困ったような顔をしながら言ってくるかもしれません。

就職偏差値がトップレベルの企業に入った時は、父親を見返してやったと鼻高々だったのにどうしてこんなことに……。彼女は「何も考えたくない」と呟いて、今日何度目かの深酒を始めました。

「私は人より優れている」というメンタルモデル

「優秀な人と仕事がしたい」という言葉が出てくるとき、一体システムとしては何が起きているのでしょうか。仮にこれをシステムの一番上に置いてみたら、この発言が出てしまうのはどんなパターンが始まったときかを考えてみます。

自分の期待や要求とズレたことの全てにがっかりして、自分は運が悪い、もっとよい成績を出したいのに、チームとしてのレベルが低い……と考える。「自分の考えるやり方以外くだらない、あり得ない」と考えることが、そのパターンを支える構造になっているかもしれません。

そして、そんな構造を最終的に支えているメンタルモデルはなんでしょうか。それを「私はすごい、人より優れている」と考えてみましょう。

彼女はすごいのです。他の人ができないことができます。だから、チームとしての成果も上げられるはずなのに、そうなっていないからがっかりするのです。

彼女は他の人と接していると、常に「自分のようにすごくない人間は、なぜ自分のように振る舞わないのだ」と、半ば矛盾したイライラ、不条理に怒りを覚え、時には傷ついてさえいます。「自分はなんて運が悪いんだ」と。

しかし、考えてみれば「私はすごい、人より優れている」と考えている人にとって、運がいいことなんてあるのでしょうか。

他の人ができないことができるのだから、自分と同じように振る舞う人はいないので、常に運が悪いのではないでしょうか。周りには常に不満が溜まって、自分の思い通りにいかないことに苦しむはずです。まさに彼女がやっていることは、妄想の言語化なのです。

そしてきっと自分より優秀な人を見つけたときには、その人の欠点を探すかもしれません。だって「私はすごい、人より優れている」はずだから。そんなことをしているうちに、彼女は孤独に突き進んでいきました。