※本稿は、岡田憲治『教室を生きのびる政治学』(晶文社)の一部を再編集したものです。
多数決と民主主義はほとんど関係がない
「言い負かす」とか「バッサリとやる」という言葉を、実際の政治の現場でイージーに使うと、僕たちの問題を解決するための「選んで・決めて・受け入れさせる」という政治の流れも、かなり強引なものとなってしまう。
今の君たちの教室では、昔に比べると民主主義という言葉が登場する頻度が下がっているから、「それって何だっけ?」と尋ねられた時には、何だかぼんやりとして、ギリギリのところで「多数決のことですよね?」と苦しい答弁となる。無理もない。
そこにクリアな言葉をあてがうことができる大人もたくさんはいない。先日、君たちの両親ぐらいの人たちが集まったイベントでスピーカーとして話をしたが、民主主義をそれなりの自信をもって説明できる大人はあまりいなかった。おそらく脳内に「タスウケツ……?」という音がよぎったかもしれない。
大事なことをいきなり言うのがこの本の特徴のひとつだから言っておこう。
民主主義と多数決は基本的にはほとんど関係がない。
誤解が積み重なっていることはもう一度念を押して言っておかねばならない。
「多数決≠民主主義」である。
何を言っているのか、この教授は? 眉をひそめた諸君もいるかもしれない。しかし、そうなのだ。すまん。これもまた今まで黙っていた。謝る。
たとえば、クラスの学園祭の出し物を決めた時のことを振り返ってみてほしい。授業の後のホームルームのよどんだ空気と、なかなか決まらないイライラと、いくえにも重なる相手の気持ちへの先回りなどで、クタクタになった、あの光景だ。
「模擬店やる人はやって、アート=ミュージック系もやって、残った人はサポにまわる」という結論は、過半数をわずか1票上回っただけのギリギリの決め事だった。だから、「決まったって言ったって、半分くらいのクラスのやつに推されてない」から、「こんなんでいいのかな?」とモヤモヤしたのだ。
でも、1票でも多いのだから、「合意が成立したかどうかはかなり怪しいけれど、成立したことにする」となったのだ。そう。モヤモヤしてギリギリだったのだ。