商店街の「安い薬局」として1957年に誕生

1957年、中内は大阪・千林商店街に医薬品や食品を安価で薄利多売する小売店「主婦の店ダイエー薬局」を開店。1972年には百貨店の三越を抜き、小売業売上高日本一を達成する店の1号店である。

中内は倉本との出会い、そしてその人柄と教えについて、1982年に刊行された『倉本長治追悼写真集』に次のように記している。その2年前、1980年に日本で初めて小売業界の売上高1兆円を達成していた。

「大阪で、薬を安売りしている、けしからん奴がいる。薬は、人命に関わる神聖なもので、それを大根や菜っ葉みたいに安売りするとは、けしからん」

この記事によって私は、「商業界」を知った。けしからん雑誌だと憤概し、倉本先生に文句を言おうと思って、商業界ゼミナールに初めて参加した。お会いしてみると、先生は非常に革新的な考え方の持ち主であることがわかった。私の憤慨した記事は、先生の書かれたものではなかった。

「薬も食料品も、人間の口から入って、美と健康に関わるものであるから、両者に何らの差もないではないか。薬を安売りしたら、中味が悪くなるというのは、理論的におかしか」という私の考え方に、先生は全面的に同意された。一生想い出深い人の一人、倉本長治先生との出会いは、こうしたきっかけで始まった。

「店は客の為にある」は単なる精神論ではない

昭和26年から箱根で始められた「商業界ゼミナール」は、商業者にとって画期的なセミナーであった。それまでは、前垂れをかけ、揉み手をして、「ありがとうございました」と言うことだけだとされてきた商人の道に対して、先生は、革新的な商人道を作り上げられた。

これが我々商業者にとって、精神的なバックボーンとなった。箱根のゼミナールに参加し、あの熱気の中から、今日のダイエーをつくりあげてきた。先生にうけた筆舌につくしがたい御恩に対し、御礼の言葉もない。

先生を、単なる精神主義者と誤解している人が少なくないのは残念だ。先生は、非常に合理的な精神の持ち主であった。例えば先生が「店は客の為にある」と言われたのは、単なる精神主義的ではなかった。

客が代金を支払うために、わざわざ奥まで行くのはおかしい。店主が、店頭第一線にいて、お金をいただかなくてはならないといった、具体的なこと、技術的なこと、そして、合理に徹したことを言われていたのである。

先生が、最も大切にされたことは、革新性であり、小売業が産業化していくことに対するロマンであったと思う。先生自身は、近代化への自助努力をしない商人を非常に嫌われた。大規模小売店舗法の問題に関して先生は、小規模店を単に保護しようということはおかしい。やはり、自由競争の原則を貫くべきだ、ということを言われていた。