「部下の私があなたをクビにするのです」
秀吉に、「主人は一年、部下は三年」という言葉がある。これは、秀吉にいわせれば「主人が部下を駄目部下かどうかを見抜くのは一年、反対に部下が主人を駄目主人かどうかを見抜く期間は三年だ」ということである。
秀吉は若い頃浜松に行って、松下嘉兵衛という今川家の部将に仕えた。要領のいい秀吉は間もなく、会計責任者になった。ところが、これに嫉妬した古い松下家の部下たちが、
「秀吉は金を盗んだ」
と噂を立てた。困った松下は秀吉を呼んで、
「噂が噂だということは知っている。しかし、自分は古い部下たちも大事にしたい。悪いが、おまえは新参だ。退職金をやるから出ていってくれ」
といった。この時秀吉はこう応じた。
「出ていきますが、あなたが私をクビにするのではありません。部下の私があなたを駄目主人とみなしてクビにするのです。退職金はいりません」
これは、主人が部下を選ぶ権限があるのと同様に、部下の方でも主人を選ぶ権限があるということをいったものだ。つまり、“下剋上”の思想を、秀吉もはっきり持ち、実行していたことを物語るエピソードだ。
家康が「手柄を立てた武将」をクビにした深いワケ
部下思いの家康に、こんな言葉がある。
「水はよく船を浮かべる。しかし、またよく覆す」
鋭い言葉だ。水を部下、船を家康に置き換えると、意味がはっきりしてくる。つまり、家康にとっては、「部下というのはそれほど油断のならないものなのだ」ということだ。かれの部下管理法は、人情一辺倒だったわけではない。相当に知的な工夫が凝らされている。
ある合戦で、ある大名の旗本が敵の大将の首をとって、真っ先に家康のところへ見せに来た。
家康はその旗本を誉めた。が、こんなことを聞いた。
「おまえが敵の大将と戦っている時、おまえの主人は何をしていたのだ?」
旗本はちょっと考えたが、
「さあ、戦いに夢中になっていてわかりませんでした」
と応えた。家康はそうかと頷いた。旗本が去ると、家康は使いをやってその大名を呼ばせた。そして、
「さっき自分のところに首を見せに来た旗本をクビにしろ」
といった。
大名はビックリした。
「あの男は大変な手柄を立てて、あなた様からもお誉めの言葉を頂戴した者です。これから重く用いたいと思いますが」
「いや」
家康はクビを振った。
「旗本というのは、どんなことがあっても必ず主人の側にいて、守らなければならない役割を負っている。それを乱戦になったからといって、自分から敵の大将の首を取りに行くような旗本では役に立たない。もし、その間にあなたが殺されたらどうするのだ? そんな旗本は自分の責任を放棄しているのだ。クビにしなさい」
大名はいまさらながら家康の厳しさに背筋を寒くしたという。