「親ガチャ」という言葉選びに潜む「優しさ」
それでは、第二の〈親目線での批判〉についてはどうでしょうか。「親ガチャ」という言葉が、親を傷つけうることは否定できません。しかし、この言葉がどういう状況で発せられているかを知れば見え方が変わってくるはずです。
そもそも、「親ガチャ」が生まれた背景には、貧困や虐待という過酷な状況があります。社会学者の土井隆義さんは、ツイートでの「親ガチャ」という言葉の使われ方を分析した結果、「親ガチャ」という言葉が、親を責めるために使われていないことを強調しています(※3)。というのも、そもそもこの言葉は、自分が虐待や貧困で苦しんでいるという状況を、「生きづらさをポップに言い換えるための言葉だった」からです(※4)。
つまり、ソーシャルゲームの「ガチャ」のニュアンスで冗談めかした装いを付けることで初めて、自分の苦境について言葉にし、他者にシェアできるといった事情が、この言葉が生まれた背景にはあるということです。
子どもが自分の苦境を「ガチャ」と言い換えた
この指摘を聞いて私が最初に思ったのは、「『親ガチャ』というと、親がかわいそうだ」と訳知り顔で説教する人は、その言葉を使ってしまう子どもが、どんな状況で、どういう事情を抱えながら、その言葉遣いを選んでしまうのか具体的に想像したり、観察したりするつもりがないのではないか、ということでした。
この言葉選びが適切か、好ましいかどうか以前の問題として、その言葉は子どものどんなニーズから生まれ、具体的にはどんな風に使われているのかを知るという責任が大人の側にはあるのではないでしょうか。
(※3)2015年頃にブームとして認識された「毒親」という言葉は、明確に親を責める言葉として導入されています。この言葉については、1990年代に流行した「アダルトチルドレン」という言葉も同様の問題を取り扱う言葉だったと指摘しながら、「毒親」という言葉に取って代わられることで、問題がより善悪二元論的に単純化されることを危惧する論考もあります。斎藤学「毒親と子どもたち」『みらい』vol.2, 日立財団Webマガジン
(※4)読売新聞オンライン「『親ガチャ』は『優しい言葉』か…1万8232ツイートを分析して見えた『ネットの気分』」