※本稿は、本郷和人『「将軍」の日本史』(中公新書ラクレ)の第2章「くじ引きで決められた将軍」の一部を再編集したものです。
くじ引きで決めるのは無責任で適当?
ここで考えたいのは、室町時代の将軍、とりわけ室町幕府四代将軍の足利義持と、その弟で六代将軍となった足利義教についてです。義持は、自分の息子である五代将軍・足利義量が若くして亡くなったのち、その後継を自分で決めないまま、自らも亡くなりました。
困り果てた家臣たちは石清水八幡宮まで赴き、その場でくじを引いて次の将軍を決めます。こうして六代将軍となったのが義教でした。くじ引きで決められたので、しばしば「くじ引き将軍」と呼ばれます。
次の将軍を決めずに亡くなった義持も無責任ながら、家臣たちも家臣たちで、くじ引きで将軍を決めるとは、なんと適当なことだろうかと読者のみなさんも思うのではないでしょうか。しかしそこには、誰が将軍を決めるのかという問いに答える、重要なヒントが隠されていたのです。
嫡男が大酒飲みで亡くなってしまう
最大の権力者となった三代将軍・義満、その後を継ぎ、さまざまな改革を行った四代将軍・義持。義満、義持の頃に、守護大名たちと連携しながら、室町幕府は最盛期と呼ばれる時代を築いていきます。
そんな義持にとって唯一の悩みの種となったのが、後継者問題でした。彼には後継となる男子は嫡男の義量ひとりしかいませんでした。この義量に将軍を譲ったのち、自分は父・義満と同じように大御所として実権を手放しませんでした。
将軍になっても権力を振るうことができなかった不満からか、もともとそうだったのかはわかりませんが、義量は浴びるように酒を飲む性分だったようです。早くからの大酒飲みが祟り、酒毒のため体を壊して、若くして亡くなってしまいます。五代将軍に就任して、わずか二年のことでした。
次の将軍は「お前たちで決めろ」と言い残し…
義持にとってはたったひとりの息子で、そのほか自分の直系に後継になる男子はいません。とはいえ、当時40歳だった義持は、「自分はまだ元気だし、いずれ男子ができるだろう」と希望を抱き、新しい将軍を立てずにまた自分が将軍になって、引き続き政治を執り仕切ったのです(つまり、五代将軍・義量の死後、四代将軍だった義持が将軍職に復帰して六代将軍になったと言えなくはないのですが、ややこしくなりますから、ここではそのようには数えません)。
もともと実権を握っていたのは義持でしたから、室町幕府の運営上は特に問題はありませんでした。ところが将軍に復帰して3年後に、義持もちょっとした病で亡くなってしまうのです。風呂でできもの(雑熱といいます)を掻いていたら破れてしまい、そこから雑菌が入り、感染症を引き起こして、高熱を発して亡くなったとされています。
義持が高熱で倒れた時点で、これは助からないと考えた守護大名ら幕閣は、瀕死の床にふせっている義持に、「次の将軍には誰を据えたらよいでしょうか」と尋ねました。しかし、義持は誰も指名することなく、「お前たちで決めろ」と答えて亡くなったのでした。