親や世間から向けられる怒りの矛先

――親御さんから怒りをぶつけられるというのが少し意外でした。ネグレクトのようなケースでは、親は育児から解放されて、ほっとするのかなと思いました。

【宮口】誰かに介入してもらってほっとするという人もいますが、一番多い反応は怒りです。

自分の所有物や依存の対象のように感じていた子どもが突然奪われる。子どもは不快でストレスの原因だったとしても、日常生活の中で子どもがいたことでなんとかバランスを保って暮らしているのです。ネグレクトの場合には、ヤングケアラーのように、親が子どもを頼りにしていることも少なくありません。その日常が突然奪われたことは親にとって大きな喪失であり、苦しみです。その苦しみの怒りの矛先が児童相談所に向かいます。

本来なら、一時保護してから、どう親子をつなぎ直していくのか、そこからの支援がもっとも大切です。ですが、親御さんとの関係も築きにくいなかで、緊急のケースが次から次に上がってきて、一人ひとりの方に丁寧に向き合って継続的に支援していくことが、当時児相にいた私にはなかなかできませんでした。

こうした状況にさらに追い打ちをかけるのが、虐待事件などの報道後の世間からのバッシングです。私が児童福祉司として働いていた時も、新聞報道がされるような虐待事件が起きてしまったことがありました。その子どもを担当していた児童相談所には日常業務がままならないくらいの数の苦情の電話がかかってきて、サポートとして電話対応に入ったことがあります。

見出しに踊る「虐待」の文字
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです

「責任を取って死ね」

――どんな苦情が入るのですか?

【宮口】「子どもが飢えている時に、おまえらはのうのうと飯を食っていたのか」「責任とって死ね」などと見えない相手からの攻撃でした。

本当にすさまじい怒りで、電話をかけている人たちの闇やトラウマを感じました。子ども時代にケアしてほしかったのに、ケアしてもらえなかった方かもしれません。自身の未解決の怒りを児童相談所にぶつけているように思いました。

こうした声にさらされていること自体、職員が暴力を受けていることになります。ただでさえ、支援ができなかったことへの強い罪悪感がある中で、周囲からの攻撃が続けば児童相談所自体が安全でなくなり、さらには子どもや家族を支援するという本来の仕事を続けていくことができなくなるのです。