「質素」と「粗末」の決定的な違い
僕たちは少ないお金で暮らすことを、「質素な暮らし」と呼んでいます。
質素という言葉の意味を辞書で引くと、「飾りけがない」「贅沢しない」といった意味になるようです。贅沢せずにつつましく暮らしているなんて聞くと、粗末な暮らしをイメージするかもしれません。
ですが、「質素」と「粗末」は決定的に違います。
粗末とは物事を雑に扱うことです。一方、質素とは贅沢しないがゆえに、あるものを大切にすることです。つまり、真逆なのです。
たとえば、粗末な食事というのは、茹でたうどんを適当な皿に盛り付けるだけの食事をイメージしてください。
逆に、質素な食事とは、ただ茹でただけのうどんでも、見た目がきれいに見えるように好きな器にていねいに盛り付け、テーブルにはランチョンマットをシワなく敷き、温かいお茶を淹れた湯呑みとお箸もきれいに並べる。そんな食事です。
同じ茹でただけのうどんでも、その食を大切にしようとするかどうか。この違いが、質素と粗末の違いです。
厳密に意味合いが正しいかはわかりませんが、少なくとも僕たちは、質素と粗末をそう区別しています。そしていうまでもなく、粗末に暮らすよりも質素に暮らすほうが豊かさを感じられます。
日常の中に豊かさを感じる最大のコツ
ありふれた日常の中に豊かさを感じる最大のコツは、「自分が大切にしたいものだけを大切に扱うこと」。これだけだと思っています。
なんでもかんでも大切にしようといっているのではありません。むしろ、逆です。
なんでもかんでも大切にしてはいけません。
大切にしたいものだけを、大切にすることです。
自分が大切にしたいと思えないものをていねいに扱ったところで、心は満たされません。それどころか、どうでもいいものまで大切にしようとかけた時間や手間は、苦痛の種になります。それでは結局、自分が苦しくなるだけです。
だからこそ、自分が本当に大切にしたいものだけを大切にする。このように発想することを、僕たちは質素な暮らしだと思っています。
もし、「ていねいに扱う」「大切に扱う」ということを面倒だと感じるのなら、その対象は自分たちにとって大切なものではないと思っていいです。
僕たちが日々の暮らしの中で実践しているのは、大切にしたいと思えないものは容赦なく手放し、毎日触れていたいと思えるものだけを残すこと。
一緒にいることでむしろ寂しさを感じるような人間関係からは距離を置き、困っているときは力になりたいと思える人とだけ連絡を取るようにすること。
苦しさしか感じない家事はやめてしまい、心地よさを感じられる家事だけをすることです。
そこには贅沢さや華やかさはないかもしれません。
ただ、自分たちにとって大切なものだけを大切にする質素な暮らしは、とても豊かな暮らし方だと思っています。