シンプルで深い問い――なぜ資本主義は誕生したのか

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、20世紀初頭に書かれた本ですが、わが国でも翻訳されていて、1世紀以上も経った今でも文庫や新書で簡単に手に入ります。解説書も多いので、皆さんもどこかで見たり聞いたり書を手に取ったりしたことがあると思います。私が本書を手に取って読んだのは、40年も前の大学院生の頃。本書は、エミール・デュルケームの『自殺論』と並んで社会学・社会科学の古典だと聞いていましたので、挑戦しました。どちらの本も、毎日の生活の中で私(あるいは私たち)が抱える問題を、個人や心理の観点から考えるのではなく、社会という観点から考えることを教えてくれる、社会学の必読書です。

『自殺論』
デュルケーム著、宮島喬訳、中公文庫

ですが、自殺論はともかく、本書は、実のところ話が西欧の宗教や文化の話とあって、読みこなすのは簡単ではありません。しかし、その後読んだ、スメルサー&ワーナー(Neil J. Smelser, and R. Stephen Warner)著の、Sociological Theory: Historical and Formal(1976)を通じて、同書の背景を含め深い理解を得ることができました。何事にも先達はあらまほしきものです(笑)。

さて、資本主義は、なぜある時期に、ある地域で誕生したのか。これがウェーバーの本書の最初の問題提起です。そんな問題、本書を読み始めた当時の私は考えたこともありませんでした。「資本主義? 封建主義という器が、発展する経済力を支えきれなくなって、それが壊れて生まれてきたのでは?」というのが、当時、高校や大学で西洋史を学んだ私の知識でした。振り返って考えても、陳腐な知識です。古い建物が使えなくなって、新しい建物ができたというだけの話。当たり前すぎて、何の感慨も呼び起こしません。他方、「なぜ、どのようにして資本主義が生まれたのか」を問うウェーバーの答えは、心からの共感を呼び起こすものでした。前置きが長くなりました。簡単に本書を紹介しましょう。

(編集部=撮影)
Max Weber
1864年(日本でいえば幕末、禁門の変があった元治元年)生まれ。1920年(第一次世界大戦が終わった大正9年)没。今、私たちが生きている「近代市民社会」がどのように生まれたのかを、経済、宗教、歴史を組み合わせて考えたドイツの社会経済史学者・社会学者。アジアで最初に近代化を迎えた日本ではその影響は大きく、戦後の歴史学者から、現代の政治学者(たとえば姜尚中)や消費社会研究者(たとえば三浦展)まで、マックス・ウェーバーの愛読者は多い。写真は2003年に刊行された伝記。


『マックス・ウェーバー』
安藤英治著、講談社学術文庫