鎌倉幕府2代目執権・北条義時の死因はなんだったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「史料には、体調不良による病死と書かれている。NHK大河ドラマで描かれたような毒殺だとは考えにくい」という――。

ドラマの主人公・北条義時の最後の言葉

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回「報いの時」(12月18日放送)では、主人公・北条義時の死が描かれました。

小栗旬氏、富士通のスマートフォン「arrows」シリーズ新商品、新CM発表会。2019年6月7日、東京都港区
小栗旬氏。富士通のスマートフォン「arrows」シリーズ新商品、新CM発表会。東京都港区(写真=時事通信フォト)

義時はどのような死を迎えるのか? ネット上でも推測が飛び交っていました。が、結果は、妻・伊賀の方(ドラマでは「のえ」)による毒殺でした。

のえは、義時の嫡男・泰時ではなく、自分が産んだ義時との子・政村に家督を継がせたい。それが動機だと描かれました。

終盤、毒によって弱った義時と姉・北条政子が会話するシーンとなります。

義時は2代将軍・源頼家(母は政子)を謀殺したことを、政子の前でうっかり話してしまいます。

さらに、後鳥羽上皇の血を引く帝を殺害する意向をも示します。「まだ手を汚すつもりですか」と驚く政子に対し「この世の怒りと呪いを全て抱えて、私は地獄に持っていく。太郎(泰時)のためです」と悲愴な決意を表明します。

身体の自由がきかない義時は政子に薬を飲ませて欲しいと求めますが、政子は薬が入った小瓶を捨ててしまう。

「私はまだ死ねない。まだ…」と這って、薬(液体)が溢れたところに向かう義時。義時が薬を口に含もうとした瞬間、政子が袖で、薬を拭いとってしまうのです。

もがき苦しむ義時に、泰時が立派に後を継いでくれると告げる政子。「姉上」が義時最後の言葉でした。政子は絶命した弟に「ご苦労さまでした。小四郎(義時)」と労いの言葉をかけ、物語は終幕するのです。

「鎌倉殿の13人」では、主人公・義時は数々の陰謀・謀略に加担し、政敵を葬ってきました。毒殺~政子との会話までの展開は、最終回の題名「報いの時」に相応しいシーンだったと思います。

大河史に残る素晴らしい最終回でしたが、義時は本当に毒殺されたのでしょうか?

史実に残された義時の本当の死因

1224年6月13日、鎌倉幕府の第2代執権・北条義時は、この世を去ります。62歳の生涯でした。

義時の死について記された鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』を見ていきましょう。