攻撃できる部下や家族がいないと、その矛先は自分に向かう

あるパワー・ハラスメントされている人は、多大な業務量を強いられ、月80時間を超える残業が継続していたという。

パワー・ハラスメントする上司は、心理的には不安で欲求充足ができていない。自分の中の支配性を表現できない。そこでその表現できない支配性が、自分より弱い立場の部下に向いてしまう。攻撃性の置き換えである。

会社で部下に攻撃性の置き換えができない人は、家で狼になる。妻や子どもに暴力を振るう。それもできない人は攻撃性が自分に向いてしまう。どこにも攻撃性の置き換えをできない人は、最後に自分に向いてしまう。そこで悲劇が起きる。うつ病になったり、燃え尽きたり、最悪は自殺したりする。

パワー・ハラスメントする上司はとにかく情緒的に不安定である。その犠牲になるのがパワー・ハラスメントされる人である。

ハリー・スタック・サリバン(精神科医、1892〜1949)によると、母親が幼児の身体的欲求を満足させる根本であるばかりでなく、母親は「またいっそう包括的な安全性という意味でその関係に依存している」という。

母親は子どもの情動的な安全の源である。この情動的な安全の源が今の日本では、破壊されつつある。その徹底的で極端な例が、幼児虐待である。

「大人になった幼児」が増加している

大人になって表現されてくる深刻な問題は、幼児期の母親との肌の触れ合いのコミュニケーションの欠如の問題である。深刻な感情的不健康の遠因である。

加藤諦三『パワハラ依存症』(PHP新書)
加藤諦三『パワハラ依存症』(PHP新書)

イライラしてお風呂に入る、汚れを落とすためにお風呂に入る、そんなお風呂の入り方をして育った人、話し合いながらお風呂に入った人、その違いである。肌の触れ合いというのが、子どもの肉体的な欲求を満足させるだけでなく、心の欲求も満たす。

ところがこれがないと、身体的欲求も、情動的な欲求も満たされない。生きていくために極めて重要な感情的健康が失われる。それで、不安な人は、常にパーソナリティの中に葛藤を含んでいるままで、社会的、肉体的に大人になっていく。

幼児期の母親との肌の触れ合いからくる情動的な欲求の満足が、今の時代に欠けてきた。情動的な安全の源に問題が出てくると、肉体的には同じでも、「大人になった幼児」になる。その「大人になった幼児」が増加している。

それがパワー・ハラスメント問題である。

母親に抱き返される経験が、内なる力に繋がる

幼い頃、母親に抱きついて、母親から抱き返された時の確実な感覚。その心理的確実性の上に成り立つものが自己の内なる力であろう。

その抱き返されるという体験がない人が、いかに社会的な力をもっても、それは自己の内なる力とはならない。心理的、感情的な安心感はない。

エーリッヒ・フロムのいう「保護と確実性」を感じ取れた時が、自己の内なる力を育む出発点である。自己の内なる力をもった人は、他者と自分との強迫的な比較も、傷つきやすさも、虐待を受け入れることも、強迫的に名声追求をすることもない。それらの特徴は自己蔑視であるが、同時に自我喪失である。

失われた自我を取り戻すのは、対象への憎しみを自我のシステムに統合化できた時である。

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