すべてがお見通しになった状態での判断にはバイアスがかかっている

こういったケースで典型的なのは、スポーツ観戦などでやたらとヤジを飛ばす人です。特に高校野球の観戦などへ行くと、なぜか関係者でもないのに自信ありげな名采配を下している方がいらっしゃるのを、目にした経験はありませんか? 自分が別に一流としてプレイできるわけでもないのに、「アレはだめだ」「自分ならこうする」という意見を並べるような方はこの典型と言えるでしょう。

布施川天馬『東大式節約勉強法』(扶桑社新書)
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面白いのは、こういった方々に対する偏見があることです。先ほどの例では、多くの場合で受け手の方が勝手に「年配者に多いだろう」と解釈してしまうそうなのですが、実はこういった人は老いても若くても、もちろん男女も関係なく発生しうるようなのです。これは、実際に僕が最近経験した出来事からもわかりました。

僕は最近「Apex Legends」という、eスポーツにも起用されるような対戦型ゲームにハマっています。このゲームのプレイヤーのボリューム層はおそらく10代~20代と思われますが、一流プレイヤーのプレイングを記録した動画をYouTubeなどで観ていると、ほぼ確実に「こいつはへたくそだ、自分ならこうする」と、聞いてもいないのに「最善手」を教えてくれる方がワラワラと沸いてくるのです。

もちろん、こういった意見の中にも「正解」があったり参考になるものがあったりというケースもあることにはあります。しかしながら、プロやセミプロレベルのプレイヤーならそこまで想定しての一手であることも珍しくないですし、実際にやっている人とそれを見ている外野では状況も立場も何もかも異なります。

そして、何よりも、こういった自称アドバイザーの方々は、結果まですべてを把握したうえで事後的に采配を下すことができますが、現場で戦っている人々は手探りでより良い未来を選択しているのです。

すべての結果が明らかになっている状況で「あの時はこうするべきだった」と意見するのと、1秒後すらどうなっているのか分からない状況下で「こうしよう」と判断を下すのは、かかるコストに天と地ほどの差があります。全部が「お見通し」になっている時点から過去を振り返って色々と並べたてるなんて、赤ん坊でもできるほどに簡単なことだと思いませんか?

ですが、残念ながら、検討を重ねている本人は、自分自身の判断にそのバイアスがかかっていることに気づけません。むしろ、「どうしてあんなに他人の判断は劣っているのだ」と見えてしまいがちなのです。

「他人の視点から見た自分の点数」を予想する

これは復習についてもやはり例外ではありません。しかし、他人の判断に口出しするのと大きく異なるのは、観察の対象が「あの時の自分自身」であるということでしょう。自分を自分で裁断することの難しさはここにあります。どうやっても自分自身への色眼鏡を消すことができないのに、なるべく客観的な視点から自分で自分の判断を検討しなくてはいけません。

では、客観的な視点から己を見つめなおすコツはどういったものなのか。まず、完全に客観的な視点を己の脳内にインストールすることは、おそらく不可能です。「完全な客観」とは、己の主観的な判断が1ミリも入っていない状況ですが、思考・判断をするのが自分自身である以上は、主観的な要素を完璧に排除することはかなわないからです。

ですが、「客観的な評価」を得る方法はあります。それは、「他人の視点から見た自分の点数」を予想すればよいのです。結局、大事なのは「客観的に評価する」というプロセスではなく、「客観的に評価された自分」の結果です。ですから、疑似的に客観評価を得るために、「復習の際の2割減」を行うことで、自分への甘さを消しながら、他人から見た自分像をとらえることができるようになるのです。

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