※本稿は、布施川天馬『東大式節約勉強法』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
勉強はばっちりしたはずなのに「思い出せない」
勉強は「やったから終わり!」というものではありません。
例えば、社会人の方は学生時代を思い出してみてください。きたる定期テストのために、たくさん勉強をしたあなたは、それぞれの単元を「よし、これできっと大丈夫だ!」というところまで詰めて、意気揚々と床に入ります。
そして、運命の日。自信満々だったはずのあなたは、テスト用紙を前に固まるのです。
「あれ? ここ、やったはずなのに思い出せない!」と。確かに勉強したはずなのに、白紙じゃマズい、何か書かないと、でも何を? いったい何が起きているんだろう、とパニックになるあなたを尻目に試験時間はどんどん経過していき……全国100万人の学生の心の叫びが聞こえてくるようです。
ですが、これは勉強の方法が悪いわけではありません。神に祈ろうが、「あること」をしなければほぼ確実に起きうることです。その「あること」とは、ずばり「復習」です。
「自撮りカメラ」は実物よりも綺麗に撮影してくれる
みなさんは、「自撮り」をしたことはありますか? 海外では「セルフィ」と呼ばれるこの行為はもはや世界中で大流行しており、最近では観光地に限らずあちらこちらでパシャパシャと写真を撮っている男女の姿が散見されます。「自撮り」専用の「自撮り棒」なんて印象的なアイテムが登場したのも、もはや随分前のことです。
聞いた話によれば、有名観光地や遊園地などでは待ち時間の間に自撮り動画を撮っている人であふれているとか……。いいヒマつぶしができたようで何よりですが、自分の顔以外にも見るべきものが溢れている状況で敢えて自撮りをするという選択ルーチンは、なかなか興味深いものがあるように思えてしまいます。
僕はといえば、友人に誘われるなどよほどのことがなければ自撮りは行いません。なぜならば、そこまでして自分の姿を見たいと思えるほど自分自身の容姿に自信がありませんし、そこまで特別なものだとも思えないからです。ところが、最近のカメラアプリは性能が非常に向上しており、実物よりもさらに綺麗に美しく映る加工がなされる機能がデフォルトで付属しているケースも多いのだとか。
確かに、実物よりも美しく映るのならば、わざわざ自分で自分を撮影するという行動にも納得がいくような気がします。ここでいきなり手のひらを返したのは、同じようなケースが脳裏に浮かんだためです。