(PANA=写真)

民主党元代表 小沢一郎(おざわ・いちろう)
1942年岩手県生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本大学大学院に進むが、父の急死で出馬した69年の衆院選で初当選。自民党幹事長、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首を歴任。2006年民主党代表に就任するが、09年、公設秘書逮捕により代表辞任。


 

「剛腕」「壊し屋」と強いイメージばかりが先行するが、その人生は敗北の連続だ。

父は弁護士出身で運輸大臣などを歴任した佐重喜氏。自らも弁護士を目指して東大を志望したが失敗。父親の急死もあり、結局その道を断念して、政界進出。1969年初当選。田中角栄、金丸信という実力者に庇護されるが、権力闘争に敗れて離党。立ち上げた非自民連立政権は11カ月で消滅。その後、新進党、自由党は分裂し、民主党に吸収されてしまう。それでも代表となって、さあ政権交代というときに、資金管理団体の土地取引を巡って秘書が逮捕され、代表辞任を余儀なくされた。

常に何か満たされないがゆえのコンプレックスが、新たな破壊衝動となる。しかし、日本はいまだ「コンセンサス社会」だから負け続ける。「1票でも勝った多数が正義」という考えは、「数は力」と豪語した師・田中から継承した。決断と実行のためには欠かせない理念だが、師は「情とカネ」による根回しを怠らなかった。小沢氏にはその根回しがない。根回しなき決断は、「独断専行」と映る。議論、説得も好まない。恫喝し、雲隠れする。多くの仲間を失った。周辺には威を借る狐の類と盲従するチルドレンしかいない。

「政治は権力闘争」と言い切る。その矛先は検察権力にも向けられる。政治資金規正法違反の罪に問われた裁判で、「強制捜査は政権交代阻止が目的で、起訴は誘導工作」と真っ向勝負だ。田中も金丸も敗北した検察に勝利し、その勢いで消費税増税反対、野田政権打倒を目指す。まだまだやる気だ。「勝利を確信している」と周辺は話すが、有罪となれば政治生命を失いかねない。スリリングな大勝負に打って出る大胆さが、いまだ盲信者を生む秘訣でもある。注目の判決は4月26日だ。

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