難病は「難しい病」ではなく「お手上げ病」
また、臓器寿命が人それぞれであるように、血液の生産能力も人それぞれです。100歳まで生産能力がある人もいれば、3歳で血液が作れなくなる子どももいます。3歳で病になるのは老化ではないだろうと思うかもしれませんが、恐るべき速さで老化が進行したともいえます。なぜなら、生まれたときは大丈夫だったからです。
血液を生産する細胞が早く老化するのかもしれないし、老化するスイッチに関わる遺伝子が早く劣化するのかもしれません。あるいは、老化を防ぐための遺伝子が早く劣化するのかもしれません。いずれにしろ、医学や生命科学は体のほとんどのことがわかっていないのです。わからない病気は、「難病」として扱われます。
難病すなわち「難しい病」というわけですが、そもそも体のことがわかっていないのに、その病気が難しいも何もないだろうと思います。わかるわけがないのです。難病と聞くと、「難題」を解くように、努力すればなんとか治せそうな印象があります。が、それは人間の思い上がりではないでしょうか。素直に「お手上げ病」というべきです。
ほとんどの「特殊な病名」「難治性疾患」「難病」は、若くして老化が急速に進んで起こる状態を指します。若くして超高齢者の臓器のように老化してしまったということです。だから、治りません。こう話すと、「医師のくせにひどいことをいう」と感情的になる人がいます。わからないものはわからない、治らないものは治らない、きちんとお伝えすることが誠実さだと私は思います。
そして、残された短い人生を、ずっと入院生活に費やすのではなく、本人の希望に沿って「生きる」のも選択肢の一つではないでしょうか。少なくとも、私が見てきた「難病」の子どもたちはそうでした。
3歳で白血病を発症し、懸命に生き抜いた青木一馬くん
家族に愛されながらウルトラマンになった少年~青木一馬くん
「ウルトラマンカズマ」こと青木一馬は、「難病」を患いながらも、残された短い人生を幸せに、懸命に生き抜いた一人です。
一馬は、2015年1月26日に群馬県に生を享けました。ヤンチャで走り回ってばかりいる活発な男の子で、戦隊ヒーローや仮面ライダー、そして何よりもウルトラマンが大好きでした。2018年11月、一馬は急性リンパ性白血病を発症。一度は寛解したものの2019年4月に再発。東京の病院に入院し、抗がん剤治療を開始するも徐々に効かなくなり、医師チームは両親に「余命半年」と告げました。
腎臓にも病変があり、骨髄移植は困難という状況。両親は、葛藤と悲しみの中、なんとかして一馬を救いたいと、できる限りの治療を続けました。しかし、根治は不可能なのが現実でした。そしてついに医師から「数日の命かもしれない。会わせたい人に会わせてください」と告げられます。
両親は難病と闘っている子どもたちの夢を叶える「メイク・ア・ウィッシュ」というボランティア団体を通して、円谷プロに連絡。円谷プロは即に対応してくれ、一馬は念願かなって、病室でウルトラマンとウルトラマンティガに会えたそうです。