馬英九政権発足以来、台湾と中国との接近が明らかになった。同じ華人としてしたたかに大陸との関係を深めてきた台湾は、日本企業の中国進出の足がかりとなりうるのだろうか。
<strong>黄重球</strong>●台湾経済部常務次長(日本の経済産業省副大臣・事務次官に相当)。1952年、台湾生まれ。経済部技術処処長などを経て、2009年より現職。
黄重球●台湾経済部常務次長(日本の経済産業省副大臣・事務次官に相当)。1952年、台湾生まれ。経済部技術処処長などを経て、2009年より現職。
――日本からの台湾への投資は新たな局面を迎えているのでしょうか。

1980年代までは、日本メーカーの加工基地としての投資が主でした。その中で台湾はものづくりを覚え、新しい産業を育てることで、国際化や技術開発を進めてきたのです。

そして、ここ数年は、特に政府が資金を提供することで、積極的に海外企業に対して台湾でのビジネス提案と援助をしてきました。

たとえば、ソニーは当初、ビデオプレーヤー工場のアウトソーシングを目的に台湾に進出しましたが、5年で飽和状態となり、工場は閉鎖となってしまいました。そこで台湾側は、現地の電子産業との融合を目的とした購買センターを提案しました。結果的に、台湾におけるソニー製品の売り上げは、数年で約3倍、100億ドル規模まで成長したのです。そしてOEM体制がパソコンから半導体へと広がりました。これがソニーのITのOEM基地としての基盤となり、技術開発も現地で手がけるようになりました。

近年は日本のデジタルコンテンツなどに注目しており、ゲームソフトの開発などの人材育成と協業も推進しています。2008年は、ソニー・コンピュータエンタテインメントに1億5000万ドルを投じてデジタルコンテンツ製作者の育成支援を行っています。

すでに台湾と深い関係を持つ富士通、三菱商事、東京エレクトロンなどとも、さらなる可能性を話し合ったところです。

――日本を中国市場におけるパートナーとして最重要視しているようですが。

台湾は小さく、資源も乏しい地域です。すべての産業を国内で保護育成することは難しく、海外の企業といかに協力するかが世界で勝ち残るために必須であると思っています。競争をあえて避け、どの国に対してもオープンでなくてはなりません。ものづくりを長年一緒に行いながら、アジアで日本とともに成長してきた台湾は、日本から学ぶことの価値を理解している唯一の存在ではないでしょうか。

日本と台湾は地理的に近いだけでなく、歴史的なつながりも大変深いのです。

日本の植民地時代に、八田與一という方が台湾の烏山頭ダムを建築し、水害対策や水利事業を行ってくれました。彼はその後戦死しましたが、台湾人は今も慰霊祭をし、ダムは立派に機能しています。

こんな部分を正当に評価するのも台湾人の素直なところかもしれません。