「辞めたい」という後輩たちに伝えていること

育児や介護の両立が難しいと、仕事を辞めてしまう人もいます。でも、私は、夜介護して、翌朝出勤すると、仕事で気分転換することができました。体はえらかったけど、家と職場で、気持ちが切り替えられたのはよかったです。

辞めずに勤めたことで、職場へ恩返しすることもできました。

「親の介護をするから仕事を辞めたい」とスタッフから相談されたとき、

「あんた、仕事があるんだから職場でがんばり。介護だけだと息が詰まってしまうけれど、職場で気分転換できるよ」

と、自分の体験を踏まえてアドバイスできました。

同じように、「子どもが小さくて、仕事との両立が大変」というスタッフにも、

「今は、いろいろ制度が整った、いい時代だから、制度を利用して、辞めずに続けたほうがええよ」

と言います。子育ても介護も、仕事を辞めずに両立できたら、ご本人にとっても、職場にとっても、いいことなんじゃないかなと思います。

仕事があるうちは働かねば

看護婦になろうと決めた10代の私は、「自分に向いているかどうかわからないけど、せっかく入ったところだから、がんばらないといけないな」と、ささやかに思いました。それが、80年前。ずっと仕事を続けてきました。

80年前、看護師になったばかりの10代の池田さん。
80年前、看護師になったばかりの10代の池田さん。(写真提供=筆者)

「そのお年まで働き続けるなんて、すごいですね」と言われます。すごいことなんて、ひとつもありません。ただ、目の前に仕事があるから、それをしてきただけ。仕事があるうちは働かねば、という使命感です。

患者さんが元気になり、ご家族が喜んでくれるのが、何よりのやりがいです。看護師という仕事が、私は心底好きなんでしょうね。

看護師という専門資格職だったから、ずっと働いてこられた面もあります。高齢になっても、資格があったから雇ってもらうことができました。

資格はとても大切。たくさんあって邪魔になることはないですね。75歳のとき、当時できたばかりのケアマネジャーの資格を取りました。ケアマネ資格があれば、現場に出られなくても、事務方で働くことができます。

だから、周囲の看護師にはケアマネ資格の取得を勧めているんです。介護士さんたちには、昇給につながる介護福祉士資格を。

長い年月、それは苦労もたくさんありました。でも97歳になった今は、「苦労が私という人間を作り上げてくれたんだな」と思っています。

池田 きぬ(いけだ・きぬ)
看護師

1924(大正13)年、三重県生まれ。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所へ進む。1943年、19歳のとき、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護老人保健施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。75歳のとき、三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳のとき、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務。現在も週1~2回の勤務を続ける。2018年6、75歳以上の医療関係者(当時)に贈られる第4回「山上の光賞」を受賞。