社会のバリアに困るのは障害者だけではない

一方、日本では個人の自由にあまり重きが置かれなかった過去がある。アメリカなどと比べると人種の多様性に乏しく、家族・学校・企業への帰属意識が重要で、均質的なものからはみ出たものはレッテルを貼られやすい。健常者でも自己の意見を主張する機会や、尊厳・人権について考える機会が少なく、地方部では障害の有無を隠すようなこともあることが、複数の文献に記述がある。

自立を問われず、家族依存度の高い日本では、障害者の社会進出が遅れ、他の人と同じように一人で自由にどこでも行ける権利を主張する動きや、それに対してインフラを整える動きが遅くなる社会体質だったと考えられる。

こうして形成されたバリアフリー問題に影響を受けるのは、障害者だけではない。高齢化が進む中、車いすや杖で移動する人は増えているし、ベビーカーを使う子育て世代にとっても高いハードルになるのだ。

女性からも「電車内のベビーカー」に冷たい視線

ベビーカー問題は都市部で話題に上ることが多い。コロナで減りつつあるが、朝夕の電車やバスの通勤ラッシュ、女性の社会進出や男性の育児参加の遅れなどが背景にある。

日本は住宅や都市開発とともに人口密度を上げることで民間企業の鉄道事業が成り立ってきた。乗車率が非常に高く、泣く幼い子ども抱いて満員電車に乗れないし、幅をとるベビーカーは折り畳まないと白い目で見られてしまう。

国土交通省の調査では、子育て期を終えた女性が、ベビーカーを押しながら電車で買い物に出かける今の子育て世代に「賛同できない」とする意見もあった。今でも都市部では、通勤時間帯にベビーカーに子どもを乗せて出勤するという雰囲気にない。

公共交通を使う障害者や子育て層のサポートは乗客が手伝うものではなく、乗務員がするものという認識もある。障害者が一人で乗車できるようなインフラが整備されていたら、ベビーカーも移動しやすいだろう。

しかし現実では、既存の建物にエレベーターを後付けしていった駅が多く、どこにエレベーターがあるのか分からない場合や、行きたい出口にない場合はベビーカーを担いで階段を上り下りしなければならない。