「やりたいことだけやる」幻想の末路
「私」たちは、自分らしく生きたいと願う。とくに人生の後半戦に突入すると、世間に惑わされない生き方をしている人に魅了され、「私」も自分らしく生きたい、そのためには「やりたいことだけやる」「やりたくないことはやらない」と決める人たちも出てくる。
しかし、やりたいことだけやって生きていけるのは、一部の、ごくごく一部の恵まれた人だけだ。いくつになろうとも、やりたいとか、やりたくないとかは関係なく、「やらなくてはならない」作業で、日常は回っている。
むろん、「やりたいことだけやる」生き方を否定する気はない。しかし、人生とはとかく思い通りにならないものだ。想定外の出来事は起こるし、人生の後半戦ほど、自分のやりたいことだけやって過ごすのは難しくなる。年老いた親の介護に忙殺されたり、パートナーが病に倒れたりすることもあるかもしれない。決して言い訳できない、逃れられない状況で、やりたいことだけやるのは無理だ。
人生には、あまねく困難やストレスが存在する。だからこそ、他者とゆるくつながり、「人生の危機でこそ強化されるポジティブな思考」である心理的ウェルビーイングの実現が大切だと、私は思う。
人生の迷い子を脱する時は「いま」
私たちは助け合って生きていることを忘れてはいけないし、優しさや、いたわり、愛情といった温かな感情を訓練して身につけてこそ、本来の自己に近づいていく。そして、限りなく自己に近づいた「私」を、人は「自分らしさ」と呼んでいるのだ。
渦中にいる時はわからなかった感情を理解できるようになるのが、50歳ではないか。愛をケチることなく、延ばし延ばしにしていたことに、ようやく決着をつける。人生の迷い子を脱し、人生を生き直すのだ。
なのに、人間とは実に奇妙な生き物で、「自分らしく生きたい」と願いつつ世俗的な人生観に毒されていく。自分の手の届かない幸せを手に入れた人たちをうらやみ、他者との温かい関係より、経済的に豊かになることが幸せへの道のりだと勘違いする。他者とのつながりの大切さに気づいたとしても、すぐに忘れていく。
一方で、これまでとは異なる考え方や意識で、半径3メートル世界の「ゆるいつながり」を日常にした人たちがいる。“新しいゲーム”に参加した、パラダイム・シフトした人たちだ。
彼らは、ホームページやクラウドファンディングを活用して集まった資金を元手に、子どもたちに食料を届けたり、地域の人たちが交代で高齢者の家を訪問したり、自分も力になりたいと地域の人に呼びかけるサイトを作ったりしている。「ちょっとだけ余裕のある人」が、「ちょっとだけ元気な人」が、“雨”に濡れている人たちに“傘”を差し続けている。
あなたは、雨に濡れる人がいたら傘を差しているだろうか。あるいは、あなたが雨に濡れていたら傘を差してくれる人はいるだろうか。