開催直前も、新型コロナの感染が拡がるなか、世論調査で「中止」「再延期」を望む人が7~8割を超える状況だった。菅義偉首相は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして開催したい」と意気込んでいたが、1年延期して時間があったはずなのにワクチンの確保と接種が円滑に進められなかった。その結果、東京都を中心に過去最悪の感染者急増となり、緊急事態宣言下に無観客でのオリンピック開催となった。

今回のオリンピック反対運動は、半世紀ぶりといえるほどの大きさと激しさがあった。IOCのバッハ会長が行く先々で「帰れ!」「出ていけ!」と罵声を浴びたのは象徴的だ。日本人が海外の要人にあそこまで露骨に抗議するのは珍しい。

バッハ会長への反感は、あの無神経ぶりも原因だろう。無観客開催を決めた菅首相に、開催直前の段階で「観客を入れたらどうか」とくどくど言ってみたり、反対の声があるのにオリンピックとは関係ない広島を訪問したり、開閉会式のスピーチが予定よりも長すぎたり、選手は禁止されているのに自分は東京・銀座の街をブラブラしたりと、「ぼったくり男爵」というより「無神経男爵」だ。

バッハ会長は操り人形にすぎない

しかし、バッハ会長にどれだけ強く抗議しても意味はない。東京五輪の開催に関して、彼にはほとんど権限がなく、来日中の言動を見る限り、何ひとつ判断を下していない。バッハ会長への抗議は、ミラージュ(蜃気楼)と戦っているようなものなのだ。

以前(プレジデント誌2020年1月31日号)にも指摘したとおり、五輪開催の実権は、テレビ放映権をもつ米NBCと有力スポンサーが握っている。IOC会長といえども、バッハ会長は操り人形にすぎないのだ。

第一に、開催時期からしておかしい。連日の猛暑に、外国の選手やメディアから「招致のときに、理想的な気候とアピールしたのはウソじゃないか」と苦情が出た。熱中症になった選手も出たのだから無理もない。そうなったのも、NBCの都合だ。アメリカは7~8月には、プロスポーツで最も人気があるNFL(アメフト)やNHL(アイスホッケー)の試合がなく“夏枯れ”を迎える。だから、7~8月に開催してテレビ放送ができることが招致の重要な条件になってしまっているのだ。

NBCの影響がなかった1964年の東京五輪は、10月に開かれた。開会式があった10月10日は、一年で最も晴天の確率が高く、その記念として後年「体育の日」(現在は「スポーツの日」)として祝日になった。10月の東京は、まさにスポーツには“理想的な気候”だ。最終日のマラソンでは、エチオピアの“裸足”のアベベ選手が国立競技場でゴールインし、史上初の2大会連続優勝を果たしてすべての競技が終了した。