日本の機械が分解され、模倣されてきた

わが国から韓国への技術移転を加速させる一因となったのが、1980年代半ば以降の日米の半導体摩擦の熾烈化だ。それによって、わが国電機メーカーから韓国企業へ、メモリ半導体などの技術移転が進んだ。1989年には日立製作所との技術提携によって、LGが金星エレクトロンを設立した。金星エレクトロンは今日のメモリ半導体大手であるSKハイニックスの前進企業の一つだ。

わが国からのモノの輸入や技術移転によって、韓国の家電(後のデジタル家電)や半導体の生産能力は高まった。その結果、1980年代後半から1990年代後半にかけて、部品を含む電子機器と精緻な加工を可能にする一般機械はわが国の対韓輸出の主要品目だった。2000年代に入ると、対韓輸出に占める電子機器の割合は徐々に低下した。それが示唆することは、特定の機能を発揮するモノは分解され、模倣されるということだ。

韓国経済にとって対日輸入の重要性は

次に、韓国の景気循環とわが国の対韓貿易収支の推移を確認し、韓国経済にとっての対日輸入の意義を考えよう。1988年以降、韓国総合株価指数(KOSPI)と月次の対韓貿易収支の相関性はかなり高い。

韓国の景気が持ち直し株価が上昇する局面ではわが国から韓国への輸出が増加する関係が示唆される。特に、アジア通貨危機後の韓国経済にとって、わが国の微細かつ精緻なモノづくり力へのアクセスの重要性は時間の経過とともに高まっている可能性がある。

1997年11月に韓国は国際通貨基金(IMF)に支援を申請し、金融システムの安定化や、経営体力が低下した財閥の整理を進めた。1998年秋口にはKOSPIが底を打った。その後、2007年秋口までKOSPIは上昇トレンドを保った。

その状況下におけるわが国の対韓輸出を確認すると、1998年1月に対韓貿易収支は赤字に陥ったが、翌2月には黒字に戻った。その後、徐々に対韓輸出の構成品目に変化が現れた。