“天に召される”という言葉に、あなたは抵抗があるだろうか。

これまで国内の救急の現場では全患者に対し、「救命第一」の姿勢でいたが、医療資源が限られる今はそれを見直す必要があるということだ。2020年の第1波のとき、イタリアでは60歳以上の人には人工呼吸器を使わない、と国が決めた。それによって医師会の会長も亡くなっている。

「日本でも“線引き”をしない限り、もう追いつかなくなってくるのではないか」と、現場の医師は言うのだ。

別の医師もその意見に理解を示し、こう述べていた。

「医療機器に限りがあり、医療に限界があることは確か。回復の見込みが高い患者さんにECMO(体外式膜型人工肺)や人工呼吸管理が行えないとなると、救える命が救えない事態になります。トリアージ(緊急度に応じて治療の優先順位を決めること)はやむをえない判断でしょう。また線引きをして、高齢の患者さんを“見捨てる”というより、“緩和を含めた治療を提供する”姿勢が大切なのではないでしょうか」

「万が一」は起こるゴルフ場で容体急変も

もともと近年の救急医療で最も混乱を招いていたのが、終末期の対応だった。新型コロナ発生前の2019年、本(『救急車が来なくなる日』)執筆のため、私が日本全国の救急現場を取材していると、ほぼすべての救急医療を担う現場から「自分に回復の見込みがないときに、どこまで治療をするのかを決めておいてほしい」という声が上がった。特に、がんなど慢性の病気を持つ人は、家族と「万が一のこと」を話しておくことが重要だ。

自分が“急変したとき”にどこまでの医療行為を受けたいか。たとえば1回目の心肺停止を救急医療で助けたとする。回復が難しいと判断した場合、医師は残された家族に「また急変したらどうしますか」と聞くだろう。そのとき、あなたは家族の口から「できる限り(医療行為を)してください」と、言ってほしいのかどうか。

年齢が高いほど、心肺蘇生によって胸郭がつぶれて肺挫傷になってしまうリスクが高まったり、寝たきりの患者は足の関節が硬くなっていることが多く、救命のために動かすことで大腿骨が折れてしまうことも。人生の最期に本人が望んでいないかもしれない状況を目の当たりにするのは、どの医療従事者も葛藤がある。

救急医療の現場にいると、「ある日突然の異変」は、誰しも起こりうるのだと思う。

神奈川県にある湘南鎌倉総合病院の救命救急センターに密着取材をしているとき、ゴルフ場の打ちっぱなし練習場から、50代男性が運ばれてきたことがあった。男性はベンチで座ったままいびきをかいて寝ていて、隣の打席の人がうるさいなぁと思い、しかも30分経ってもいびきをかいていて、やがてベンチからずり落ちてしまう。これはおかしいと、ゴルフ場の人が救急車を呼んでくれたとのことだった。