「してくれた」と言う。「してあげた」と思わない
そうやって相手の提供するサービスを当然と思わなければ、たとえば「このシャツ、洗った?」は「このシャツ、洗ってくれた?」と言えるようにもなるでしょう。「くれた」というたった3文字を足すだけで、そこに相手への感謝の気持ちが付け加わるのです。
ちなみに、もう少し上級の疑問形テクニックもあります。たとえば、相手にそろそろお風呂に入ってもらいたいのに、スマホやテレビに夢中になっていてその気配がまるでないとき。「早くお風呂に入ってよ!」ではなく、「お風呂に入っちゃってくれる?」のほうがベターです。
さらに一層まろやかな言い方が「お風呂、入る?」
「あなたはお風呂に入るの?」と主語を相手にすることで、言われたほうは「文句を言われた」という気持ちが減ります。「そうかそうか、ついスマホに夢中になってしまったけれど、そろそろお風呂に入るべき時間だ」と自分で気づき、いそいそと準備を始めるかもしれません。
ただし、これはかなり相手の察する力に頼ったコミュニケーション。そもそも「お風呂ぐらい自分からさっさと入ってよ」と思う気持ちもわかりますので、ご参考まで。
さて、相手がしてくれたことを「当然と思わない」のが重要である反面、自分が何かしたときに「してあげた」と思うのはNG。
「俺が皿を洗ってあげた」「私が料理を作ってあげた」などと恩着せがましく思うと、「これだけしてあげたのに、なんであなたは何もしないの?」という気持ちが芽生えてしまいます。
簡単ではないことは百も承知ですが、夫婦間では何かにつけて「してくれた」と言い、「してあげた」とは言わないことが大事。依存・甘えはそういうところからスタートするのです。
POINT 疑問形を使うとまろやかになる