バイトしながら母の看病「病室で『東大古典』をやっていました」

春になり母は手術に成功し、快方に向かった。全落ちした天馬さんだが、すでに次の目標に向かって気持ちを切り替えていた。天馬さんには逆転合格の戦略があったからだ。

高校時代は吹奏楽部に没頭した
高校時代は吹奏楽部に没頭した(写真提供=本人)

「もともとの点数が低かったこともありますが、高3の夏で受けた東大模試のときに比べ、本番試験の点数は5倍になっていたんです。半年で、着実に学力が伸びた。しかも、予備校や塾に一切頼らずに。だから、あと1年、予備校の力を借りて頑張ればいけると考えました」(天馬さん)

栄次さんも天馬さんの意志と実力を信じて、大学進学を支えた。とはいえ予備校費用は年間約100万円かかる。カードローンから工面するだけでは足りず、栄次さんは親族に「これが最後のチャンスなんです」と頭を下げて数十万円を借りて、浪人生活がスタートした。

約1年の間、予備校の東大コースに通いながら、その間を縫って、週3回ドラッグストアでアルバイトをし、美由起さんの看病もする多忙な生活。「病室で、過去問集の『東大古典』などに取り組んだのを覚えています」(天馬さん)。美由起さんは体に負担がかかる抗がん剤治療をしていた。当時の美由起さんは、駅から自宅まで数分しかかからない道を歩くのに1時間かかることもあったという。横断歩道の青信号を渡り切るのが難しく、付き添うため駅まで迎えに行くこともしばしばあった。

高3時は“全落ち”だったが、一浪で猛勉強して、全大学全学部合格

そんな中でも天馬さんは、予備校のある日は、朝早くから予備校に行き、授業を受け、そのあと自習室で勉強して夜遅くに帰ってくる。それまでとは違う天馬さんの様子を見て、「今年は大丈夫だ」と栄次さんは感じていた。

結果、天馬さんは東大の壁をオリジナルの戦略でなんとか乗り越えた。

「最小限の“戦力”を駆使して、頭を使ってステージをクリアするのが、僕のゲームのやり方。受験も同じで、満点を狙ったり、すごく頭のいいライバルを蹴落としたりしなくてもいい。必要最低限の受験知識でボーダーの少し上を狙いました。実際、センター試験も2次試験も滑り込みセーフでの合格でした。狙い通りとはいえ、ヒヤヒヤですね」

現役での受験の年には美由起さんの病気への心痛や全落ちの挫折などで散々だったが、1年後の2度目の受験のときには美由起さんは無事回復し、東大を含む受験した全大学全学部に受かった。まさに「地獄から天国へ」だ。