幼い頃からずっとショートヘアだった雅子さま

まずは雅子さま。1993年、皇太子さま(当時)との婚約が内定し、たくさんの写真が報じられた。幼い頃から外務省勤務に至るまで、小和田雅子さんはずっとショートヘアだった。それは皇太子妃になってからも変わらず、雅子さまがロングヘアになったのは2007年のことで、それは愛子さまの影響を受けてのことだった。

なぜわかるかと言うと、毎年12月9日のお誕生日に合わせ「ご近影」が公表されるから。雅子さまお一人の写真だけでなく、親子3人の写真も含まれる。2006年にはあごのあたりまでしかなかった雅子さまの髪が翌年には肩下10センチほどに伸びていて、愛子さまの長さに追いついた、とわかるのだ。

実は2006年、雅子さまの43歳のお誕生日に公表された写真は、4年ぶりのものだった。事情は後述するが、そこには皇太子さまと雅子さま(ボブヘア)の真ん中で両手をつないだ5歳になったばかりの愛子さま(肩下10センチほどのロングヘア)がいて、じっとカメラを見つめていた。

櫛とハサミ
写真=iStock.com/Volodymyr Zakharov
※写真はイメージです

娘の好みに合わせるため1年かけて髪を伸ばした

それから1年、2007年も皇太子さまと雅子さまの真ん中に、手をつないだ愛子さま。長い髪の雅子さまは前髪もすべてあげ、おでこを見せるスタイルになっていた。愛子さまも短かった前髪を伸ばし、同じくおでこを見せるスタイル。前年より少しほほ笑んでいた。

雅子さまは娘の好みに合わせるため、長年慣れ親しんだショートヘアをやめて1年かけて髪を伸ばした。そう解釈したのには、そこに至るまでの雅子さまの苦難がある。2003年末に帯状疱疹で入院した雅子さまは長期療養に入り、2004年7月に「適応障害」と病名が発表された。だから2003年から2005年のお誕生日に写真は公表されず、写真どころではない状況から何とか親子3人での撮影に臨んだのが2006年。そこから1年かけてロングヘアにしたのだから、何か期するものがあったに違いないと確信した。

2006年から2007年を思い起こすと、天皇陛下(当時)と皇太子さまの関係が疎遠になっていると盛んに報道された時期だった。2004年に皇太子さまが「人格否定発言」をし、その衝撃が冷めやらぬ2006年12月、お誕生日にあたり陛下が「残念なことは、愛子は風邪を引くことも多く、私どもと会う機会が少ないことです」と発言した。

そんな時期だからこそ雅子さまの支えは娘の成長で、娘の好きなロングヘアを目指すことも励みになったと想像する。2007年以来、前髪をすべて上げた「おでこ見せスタイル」が母子の定番になる。2008年、学習院初等科1年生になった愛子さまのことを、雅子さまが「制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり」(2009年「新年歌会始の儀」)と詠むと、「皇太子妃なのに内向きだ」と批判された。