意欲のない部下を育てるのは時間の無駄
日本語で「学習」を示す単語、「エデュケーション」と「ラーニング」の違いは、「エデュケーション」は教える方が主語になるのに対し、「ラーニング」は教わる方の生徒が主体になる。ビジネスにおいて、「導管モデル」(学習とは「有能な人」から「有能でない人」に対する情報の「伝達」によって起こされる)という言い方があるように「エデュケーション」も全否定はしないが、リーダーが限りある時間を使って「育てる」とすれば、指示待ち型の人間ではなく、主体的に学ぼうという姿勢を持った人間だけを選別して育てる方が、はるかに効率的だ。
ソフトバンクホークス監督の工藤公康さんが「教えることなんてできない。本人にその気がなければ何を言っても同じです」と言っていたが、これはビジネスパーソンも同様だ。自ら学ぶ意欲のない部下を育てようというのははっきり言って時間の無駄。リーダーに求められているのは部下を育てること以上に、チームで成果を出すことだ。そのための「手段の1つ」として「部下を育てる」という方法があり、どうしても育てなければならないとしたら、主体的に学ぶ意欲のある部下だけを選別して、集中的に指導する方がいい。
「指示待ち部下」には異動してもらえばいい
「育てる価値がある部下を選別する」というと、「日本では簡単に社員をクビにすることはできない」と反論する人がいる。あるいは、「与えられた戦力を駆使してチームで成果を上げてこそ本物のリーダーである」という言い方をする人もいる。
たしかに、人材をクビにするにはある程度の制約がある。しかし一方で、「部署を異動させる」「転勤させる」などということは日本企業でも当たり前に行われている。育つ見込みが薄い人材を組織から退場させることは難しいとしても、組織内で人材を取り替えることは可能なのである。
それでは、「与えられた戦力を駆使してチームで成果を上げる」ことについてはどうだろうか。
企業が全社員を「自分で考えて動く人間」だけで揃えられるかというと、それは不可能だ。当然、社員の中にも1から10まで指示が必要な人種もいて、指示待ち社員を「自分で考えて動ける」ようにするまで指導する労力を考えたら、そんなことに貴重な時間を使うよりも選別して、できればさっさと出ていってもらって、リーダーがいちいち指示を出さなくとも自分で考えて動くことのできる人間を採用しなおした方がはるかにいいのではないだろうか。
「指示待ち部下」を「自分で考えて動く部下」にするというのは、それくらい難しい。そこに時間を割くくらいなら、指示待ち型人間でもやっていける部署に異動してもらう。あるいは、その人が自らの手で他社という新天地を探した方が本人のためにもなるし、ひいてはチームのためにもなる。