失礼な言動の対処法を吟味すると、冷静に人や社会と向き合える
あのときのタクシー運転手の方は、たまたま虫の居所が悪かっただけかもしれませんし、過ぎ去ってみればとるに足りないようなことなので、私自身、相手の顔や声すら、すでに忘れています。
ただ、いわれたこと、されたことから抱いた、かすかな違和感だけは、どうしても腑に落ちないまま未だに気になってしまうことがあります。
すでに感染によって亡くなっている方や治療中の方、仕事を失った方もいるという重な局面において、「コロナのおかげ」というのは、あまりにも心ない言葉だといわざるをえません。
私のように日頃から人の言動に、「何か失礼だ」「がっかりするな」と敏感に反応する人たちは、単に細かくていつもイライラしているわけではなく、自分も失礼なことを他人にしているかもしれないと振り返る機会があると捉えています。
失礼なことをされたときの対処法を吟味することで、イライラや怒りに翻弄されず、「こういうふうに考えればいいだけのこと」などと、冷静に人や社会と向き合えるというメリットもあります。
それによって、仕事もプライベートも機嫌よく過ごせますし、失礼なことをいわれたり、されたとしても、感情の浮き沈みに惑わされない「強いマインド」を持てるようにもなります。
この「かすかな違和感」というのは、人と接したときに感じるモヤモヤやイライラのことをいいます。
自問自答は「かすかな」あるいは「明確な違和感」を抱いている証拠
誰かに何かをいわれたり、されたときに「それっておかしくない?」「これはよいことなのか?」「今、私傷ついたよね?」「これって笑えることなのか?」「これは聞き流してよいこと?」などと頭の中で自問自答が始まったら、それは間違いなく「かすかな」あるいは「明確な違和感」といえます。
〈身近な事例〉
・ファミリーレストランで注文するとき、「和風ハンバーグ」とだけいう人
なぜ、「お願いします」と一言付け加えないのだろう。
・注文から20分以上も経ってハンバーグを運んできた店員が、無表情で「ご注文は以上ですね」とだけいって去ったとき、そんな店員に対して「だからバイトってダメだよね」などという人
なぜ、店員は「お待たせして申し訳ございませんでした」と謝らないのだろう。店員も礼儀を知らないが、その本人の態度の問題であって、アルバイトをしている人全員を指して「だからバイトって……」という言い方はおかしい。
・歩道に広がってゆっくり歩いているため、道が塞がっているのに、誰も後ろに人がいることに気づかない
横を向いて話している人の視界には、後ろを歩く人が入っているはずなのに、なぜ「あっ、ごめんなさい」といって道を空けないのだろう。それをすることで、お互いが気分よく感じられるのに。
「ありがとう」「お願いします」「ごめんなさい」といった基本的な言葉が出ない人や、一つの出来事で短絡的に「○○な人は全員ダメ」と口にする人がいると、そういう人たちに対して、私は違和感を覚えます。