国のイメージではなく「田舎」の魅力をアピール

【中井】京都で観光業をしている経営者のみなさんに話を聞くと、共通して口のするのが、アルバイトとして雇った学生のレベルの高さです。学生なのでそこまで高い給料を払わずとも、たとえば第二外国語で習っている中国語や韓国語を使ったりしながら、すごく上手に接客してくれる、と。

【宗田】一方で、いま、外国人嫌いみたいなものが日本社会には蔓延していて、オーバーツーリズムの問題を肥大化させている。けれど、観光人類学の第一人者ともいわれるヴァーレン・スミスの本にもあるように、観光客と彼らを受け入れる側、その両方がクリエイティブじゃなければ、文化は花開かないわけです。

【村山】先ほどおっしゃられたアカルチュレーションの概念ですね。それには受け入れる側のスタンスも重要になってくる、と。

【宗田】そう。それもローマやベネチアで起きたことを見るとよくわかります。ローマやベネチアでクリエイティブな若者たちが観光のノウハウを積み上げていったんですが、そこに団体バスや大型クルーズ船で乗り付ける観光客がどっと押し寄せてきた。

その結果、クリエイティブな人たちはどうしたのかというと、「ここでイタリアの文化を売るよりも、田舎でやったほうがいい」と考え、田舎に移住したわけです。

たとえば、ちょうど世界遺産にもなったオルチア渓谷(2004年に世界文化遺産に登録された)の近くの農家を買って、自分で好きに直して、アグリ・ツーリズモ(ツーリズム)をやった。日本もまさに同じことが起きてきているということです。

【村山】なぜイタリアの村は美しく元気なのか』という本で書かれていたことですね。

観光産業は市場原理にゆだねてはいけない

【宗田】旅行もなにもしたことがない田舎の人間が、いきなり1人でアグリ・ツーリズモを始めてもだめなんですよ。やっぱり都会で働いて、世界各地をさんざん観光して歩いてきた人間が、好きなことをやりたいと言って会社を辞め、農家民宿を開くから観光客を喜ばせることができる。

【村山】もちろんその「世界各地を観光して歩く」というのは、パッケージツアーではなく、自分で個人旅行していないと意味がないといえそうです。

【中井】そう考えると、『観光は滅びない』でもルポしたんですが、ゲストハウスやその文化の存在を無視してはいけないですよね。

宗田先生がおっしゃられるように、観光を文化的利益だと捉えた場合、“お金持ちしかくることができない街”にしてしまうと、急速に文化の枯渇につながっていくと思われるからです。

「経営的に体力のあるところが生き残ればいい」というような市場原理に任せると日本の観光は壊滅的になる、ということで国はGo Toトラベルを行っている。そうであるならば、多様性や重層性のようなものを意識的に守るようなことも必要なのではないでしょうか。

【村山】自分でゲストハウスをやるようなクリエイティブな人たちを、観光業につなぎとめるという意味でも、それは重要な視点だと思います。