なぜ、家を出られなかったのか

我慢し、傷つき続けた思春期を過ごした男性。

心の平衡を保つためだったのだろうか、自らの過去を語るとき、「仕方がなかった」という言葉をよく使った。また、父親から受けてきた暴力については、吐き出すように何度も語った。

そのため、幼い頃に起こった出来事なのか、成人してからの話なのか、聞き手としては戸惑う場面も多かった。きっと自分の身に起こったことを素直に人に話すことに慣れておらず、感情をすべて抑え込んで暮らしてきたのだろうと思った。

高校への進学を諦めて以来、引越業やコンビニの店員などのアルバイトで収入を得ながら、延べ20年以上にわたって父親との二人暮らしを続けてきたという。成人してからも家を出なかった理由について、男性は「収入があっても、連帯保証人がいないと家を借りることができない。無収入の父親や疎遠になった親戚では連帯保証人や緊急連絡先として認められなかった」と説明した。

そして自分に言い聞かせるように「とにかく黙って言うことを聞いていれば、生きる居場所だけはあった」とつぶやいた。

居場所を知られないように選んだのが車だった

男性が車上生活を始めたのは、父親の認知症にまつわるトラブルが原因だった。

70歳ぐらいになった父親はこれまでの暴力に加え、自宅の階段をのこぎりで切って壊したり、食器を割ってその破片を部屋にばらまくなど、認知症が疑われるような行動をとるようになった。

耐えかねた男性が警察を呼んだところ、父親が家を出るというかたちで解決を図ることになった。しかし、行き場のない父親は、しばらくするとまた家に戻ってきてしまう。

男性はこれまで以上の恐怖にさいなまれるようになり、自分の居場所を知られないよう車で逃げ出したという。車はかつてアルバイトで貯めた金で購入したものだった。

その後、スーパーやパチンコ店の駐車場を転々としながら暮らしていたが、警察の職務質問を受けることが多かったため、次第に車中泊の許されている道の駅で寝泊まりするようになったという。父親の影に怯え、人の気配がしただけで目が覚め、身体が固まった。常に鎮静剤の服用が欠かせず、朦朧とした意識のなかで、「生きたいのか生きたくないのか、自分でもわからない」状態になっていったという。

父親から逃れることだけを考え続け、最後に辿り着いたのは海の近くの駐車場だった。