「社会を彫刻する」パブリックアートの魅力

今回の作品に関してはもうひとつ思いもよらぬリスクが潜んでいました。〈花尾〉はアメリカの工房が所有する上海の製作所でつくって船で運んだのですが、コロナで国境が封鎖されるなか、作品も僕も自由に移動することができなくなりました。

なんとか完成にこぎつけましたが、照準を合わせていた東京五輪は延期となり、コロナの感染再拡大を受け、オープニングのセレモニーもすべてなくなりました。結果として、相当持ち出しもありました。たぶん高級車一台買えるくらいは自腹を切っています。それでも、自分史上最大の作品を、世界一乗降者数が多いという新宿駅前につくることができたのはかけがえのない経験でした。

なぜそこまでしてパブリックアートをやるかというと、僕のルーツがストリートにあるからです。僕はもともとアートとは縁遠いところに生きていて、学生の頃はプロスノーボーダーを目指していました。大けがをしてそれを諦め、紆余曲折あってアートの道に入ったので、美大の教育も受けておらず、最初はカフェやバーの壁に絵を描かせてもらうことから始めました。1日数ドルで生活していた時代もありました。そんな頃のことを思えば、いま美術館やギャラリーのような「格式高い場所」に作品を飾れるようになったことはとてもうれしい。でもそこでばかりやっていると実社会との距離を感じるようになってきました。

そもそもお金を払ってアートを見に行く経済的、時間的余裕のある人は限られます。コロナで美術館やギャラリーでの展覧会は激減しました。開催したとしても入場者数を大幅に制限しています。でも屋外にあるパブリックアートは誰でも楽しむことができます。逆に、何の気なしに見た人の心の内面まで入っていけるのがパブリックアートです。「社会を彫刻する」といってもいいかもしれません。そこには美術館やギャラリーにはない醍醐味があります。

2カ月半のロックダウンで、10メートルの絵が完成した

僕はいま明治神宮創建100年を記念した「神宮の杜芸術祭」(2021年3月31日まで開催)にも彫刻作品〈Wheels of Fortune〉を展示しているのですが、その納品のために帰国していた3月の半ばにニューヨークでのコロナ感染が爆発的に広がって、10日で帰る予定が2カ月も東京に残らざるを得ませんでした。

明治神宮鎮座100年祭を祝う「神宮の杜芸術祝祭」の野外彫刻展で公開されている松山の作品、〈Wheels of Fortune〉。鹿の角と車輪を組み合わせた。
撮影=澁谷高晴
明治神宮鎮座100年祭を祝う「神宮の杜芸術祝祭」の野外彫刻展で公開されている松山の作品、〈Wheels of Fortune〉。鹿の角と車輪を組み合わせた。

ブルックリンにある僕のスタジオでは10人が働いているのですが、まず決めたことは彼らの生活を守ろうということです。お給料は出す、ただし仕事はしてもらうと伝えました。そうはいったものの、当時ニューヨークは完全にロックダウンされていましたから、外出もできず、自分のベッドルームしか作業スペースがない。仕事用のキャンバスと絵具はオンラインでそれぞれの自宅に届くよう手配し、僕は東急ハンズとダイソーに走って、それ以外のオンラインでは小ロットで買えない物差し、筆、ペン、マスキングテープ、ガムテープなどを小さな段ボール箱いっぱいに詰めて日本から送りました。

フェイスブックで共有ページをつくって僕のスケッチを送り、スタッフがそれぞれのベッドルームでそれをもとに毎日描く。作業ボリュームや進行はSNSで報告する。試行錯誤でしたがリモートで作品がつくれることがわかりました。

2カ月半のロックダウンで、つなげたら10メートルにもなる絵ができたんです。いつまでやり続けるのかもわからないけれど、2年間作り続けたら全長100メートル超の巨大な作品ができるな、とそのとき思ったんです。それは小さなベッドルームでつくった作品の集合体です。これが僕にとっての「クラスター」だと。その創造過程、コンセプト、ストーリー全体が作品になると思いました。