国ぐるみで怖がるにも、程度がある

欧米と比べて重症者・死亡者が少ない理由、いわゆる「ファクターX」が何なのかは、いまだに不明だ。とはいえ、約半年間にわたる重症者・死亡者数の推移というリアルなデータがすでにあり、「弱毒化しているのでは?」という声すら聞こえ始めている。

国立感染症研究所は、現在蔓延している新型コロナウイルスは「欧州型の変異」であり、弱毒化という見方を否定しているが、今後、経済活動を止めないと飛躍的に重症者・死亡者が増える「可能性がある」と主張するメディアは、推論でもいいからもう少しそれに見合った根拠を示すべきではないか。それ無しでは社会の木鐸ぼくたくでも警鐘でもない、かなりタチの悪い煽りである。

もちろんウイルスの変異への警戒は怠れないし、それを感知するのもまた医療現場頼みではある。後遺症を考えればただの風邪とも割り切りづらい。が、感染しても発症するのは少数、発症しても死に至る可能性が小さいままの感染症なら、国ぐるみで怖がるにも程度がある。不幸にして感染・発症したり、死亡した方々、遺族の方々の苦しみには言葉もないが、そこを直接ケアするのは政治の仕事ではあるまい。

4月以降の緊急事態宣言下で、日本経済や企業にどれだけひどいことが起こったのかが、さまざまな指標から明らかになってきた。経済活動とは、単なる金儲けのことではなく人間の生活・活動そのものである。このうえ感染者数の増加のみを恐れて、再び緊急事態宣言で経済活動を止めようものなら、日本と日本国民は奈落の底に落ちかねない。

何のためのPCR検査なのか

混乱の大本は、やはりPCR検査ではないか。PCRの検査数について「とにかく増やせ」と「その必要なし」というシロか黒かの二元論は無意味であり、やるなら「感染ストップにつなげるためには、どう効率的・効果的に検査するか」がまず問われ、それを前提に増やせる範囲で増やす。検査数さえ増やせば感染が止まるかのような理屈は噴飯ものだ。

そもそも何のためのPCR検査なのか。日本国内の感染状況をくまなく調べてから対策を練る……という杓子定規な発想は、検査体制のキャパシティを無視した机上論と思われる。このやり方を理想と考えるような人は「感染者が本当はどれだけいるか、早く把握しないと」と焦っているのだろうが、、今わかっている以上に広がっていながらこの重症者・死亡者数ならなおのこと、集団免疫に言及するまでもなく、新型コロナウイルスの恐さの度合いは下がる。