26歳でMDへ昇格。大抜擢後、孤軍奮闘の日々が始まる

大学時代、就活でいろいろ調べるなかで目に留まったのが「サザビー」だ。サザビーは、創業者の鈴木陸三氏がヨーロッパで見つけた、まだ日本ではなじみのない使い込まれたユーズド家具の輸入販売から始まり、バッグのオリジナルブランド「SAZABY」の販売を開始。80年代には「Afternoon Tea」をスタートし、生活雑貨と飲食をトータルで展開するライフスタイル提案の先駆けとなった。

沓間さんが憧れていたセレクトショップもサザビーが手がけ、就活した90年代半ばはまさに「SAZABY」のバッグや手帳が大流行していた頃だ。

「私は鈴木 陸三さんのファンでもあったので、ステキな会社だなと思って受けました。本当は洋服の仕事をしたかったのに、気がつくとバッグ事業部に入っていたというか……(笑)」

SAZABYではショップでバッグの販売に携わることに。それでも接客は楽しく、入社3年目には店舗の販促のために新設された職種(SMD)に異動。さらに「マーチャンダイザー(MD)」を任せられたのは26歳のとき。入社したときから希望していた仕事だった。

「就職するときにアパレル業界の職種を調べると、マーチャンダイザーとは商品開発から販売促進までマネジメントする責任者と書いてありました。商品が生まれる前から関わり、お客さまに届く最後まで全部を見られるのはいいなと思っていて」と沓間さん。

当時は会社も大きく変わりゆく時期で、アパレルや服飾雑貨の新ブランドも次々にスタート。一方、バッグの売り上げは伸び悩み、SAZABYでは卸売りの業態をやめて小売りだけにすることが決まる。そのため卸し先の商品を全部引き取り、小売りのスタッフが売ることになった。

毎日のように送り返される商品が倉庫に山積みになり、それを数十店舗の直販店に振り分けていく。ウィメンズを扱うMDは沓間さん一人、あとはメンズのMDと二人で現場をまとめ、在庫商品をひたすら売っていく。明け方まで働くことも当たり前の毎日だった。

「ウィメンズの売り上げが7、8割を占めるので、必死でがんばらなくちゃいけないと。まだ若かったので、私がやっている間にブランドを潰すわけにはいかない、と本気で思っていたんです」

実は当時、沓間さんは仕事でやり辛さを感じることもあったという。会社の方針が変わるなか、30代半ばで主力になっていた先輩が次々に辞めていく。当時、MDは男性ばかりで、20代の沓間さんが抜擢されたものの、女性MDは自分ひとり。今まで優しかった人たちも、何か聞きに行っても教えてはくれない。環境の変化や様々なギャップの中で、必要な答えは自分自身で勉強しながら見つけていくしかなかった。

孤軍奮闘するなかで、店舗の品揃えや企画の方法も思いきって変えていく。自分がお店に立っていた時から不思議に思っていたことがあったからだ。

まだまだ売れる商品が再入荷せず、流れ作業のようにまた違う商品が入ってくる。種類数だけは揃っていても、肝心の人気商品をお客様にご紹介できないジレンマがあったのだ。

商品開発にも女性の感覚を活かしていく。企画の女性と意見交換を積極的に交わしながら作り上げていったのだ。沓間さんが初めて手がけた展示会では「ずいぶん商品が変わったね」「良くなったよ」といろんな人に褒められた。バッグの売り上げもまた勢いよく伸びていった。