なぜ真面目な秀才タイプはヤバいプレゼンをしがちなのか

プレゼンは、単に情報を伝えるためのものではない。情報を伝えるためだけであれば、文書や動画を渡したほうが効率的である。これに対し、プレゼンだからこそ実現できる価値は、双方向形式にして信頼感を醸成することだ。

ムーギー・キム『世界トップエリートのコミュ力の基本』(PHP研究所)
ムーギー・キム『世界トップエリートのコミュ力の基本』(PHP研究所)

プレゼンで信頼感を得る形式として第一に大切なのは、言われ尽くしているポイントではあるが、間違っても資料の棒読みをしないことだ。

私自身、新卒投資銀行時代に驚いたことがある。某政府系銀行から転職してきた官僚的な本部長が、部下たちが徹夜も辞せずに仕上げた渾身のプレゼン資料を、ただひたすら念仏のようにブツブツ読み続けていたのだ。

顔は手元の資料に向けたまま、顧客のほうを見ようともしない。身振り手振りも一切なく、抑揚のない退屈な声でボソボソと続く棒読みプレゼンにより、それまでの部下たちの努力は完全に水泡に帰していた。どれほど素晴らしい渾身のプレゼン資料を準備しても、それを読み上げる上司の単調な朗読で、すべてが台無しになってしまうのだ。

こういう壊滅的なプレゼンをするのは、真面目な秀才タイプに多い。自分はどれほどつまらないプレゼンでも真面目に聞いて学べてしまうので、自分のプレゼンのヤバさに気づけないのだ。

またダラダラと資料を読むとどうしても、文字を追うことに集中してしまうし、聴衆の反応をうかがう余裕もなくなる。

結果的に自分以外は皆寝ているか、スマホを見ているか、ひどいときはすでに全員帰ってしまっていることに、気づかないのだ。

資料は全力で用意して、全然使わない

プレゼン形式で第二に重要なのは、プレゼン資料は全力で作るのだが、プレゼン資料には頼らないことである。某PEファンドの私が尊敬するボスのプレゼンには、相手のハートと信頼を獲得する神通力が宿っていた。彼は顧客としっかりアイコンタクトを取り、ジェスチャーを交えながら、落ち着いた声のトーンで情熱的に語りかける。

しかもそのボスは、資料は用意するものの、いざ顧客の前でのプレゼンとなると、ページを一枚たりともめくりはしなかった。資料を作成する段階では、細かな指示を出し、部下に何度も修正をさせるにもかかわらずだ。

あるとき、私は「これだけ練った資料を、どうしていつも使わないんですか」「どうせ使わないなら、用意するだけ無駄じゃないですか」と聞いてみた。するとそのボスには、「ムーギー、何を言ってるんだ」とたしなめられた。

「最初のプレゼンで資料を使わないのは基本なんだ。プレゼンは相手の目を見ながら、魂同士でやり合い、信頼を結ぶためのものだ」「資料は不測の事態に備えて一応は持っておくが、あくまで緊急用なんだ」と。それを聞いた私は、「なるほど」と感心したものだ。