1930年代からまるで進歩がない。絶望である

ところがコロナ感染が拡大すると、こういった現象は日本人だけではないと分かる。次第に欧米の方が激烈だと判明する。買い占め、弾薬需要、デマ、トンデモ論の跋扈ばっこは欧米の方が相対的に酷い。イタリアはEU圏内でただでさえ貧弱な工業力なのに生活必需品を除くすべての生産の停止を決断したそうだ。伊での新型コロナによる致死率は8%に上る。だがほとんどが高齢者で、コロナの問題というよりは社会の高齢化、老齢医療の不備が原因のようだ。

改めて私は今次の新型コロナ禍で西欧近代の死を思い知った。西欧の文明国があれほど狼狽する。NYダウは目も当てられない。日本よりも遥かに厳格なヒト・モノの規制を徹底するが、あまり効いていない。自分で自分の首を絞めている。

世界経済の減速は恐らく今年戦後最悪になり、来年まで引きずるだろう。100年前のパンデミック、スペイン風邪の教訓がまるで生きていない。スペイン風邪は全世界で約6億人が罹患し2000~4000万人が死んだが、ウイルスを顕微鏡で観測することすらできなかった当時の人類は、結局免疫と感染者が獲得した抗体による自然回復で乗り切った。パンデミックに抗する術は、抗体ができるまで泰然自若としているしかないのである。

一方、人の移動と情報伝達が格段に速くなっているので、流言飛語やパニックは100年前より当然早く拡散する。結局、1世紀経って人類の進歩は何もない。オーソン・ウェルズ原作のラジオで「火星人の襲来」という嘘台本を読み、それを本気で信じた1930年代ともまるで進歩が無い。絶望である。

日本人は自虐的健忘症に陥りやすい

結局、この問題は死生観の問題である。国や地域による致死率の振幅は置いておくとしても、ヒトは何で死を迎えるか、ということを考える良い機会にはなった。

ヒトの死の原因は、第二次大戦後までほとんどが結核を中心とする感染症であった。例えば1930年代、日本人の全死因の6割が結核を含めた感染症であった。公衆衛生が発達したため、その原因が三大疾病にとって代わらるのはおおむね1950年代以降のお話である。人類の伝統的な死因はやはり様々な感染症だ。

実は人類史に於いて、死因の一位が感染症で「なかった」時代はここ60~70年に過ぎない。ヒトはほとんど、感染に依らない内臓疾患に罹って病床で死ぬ、という固定観念は、全く新しい概念なのだ。その死因の中に、現在僅かばかり感染症の比率が高くなっているというだけのお話である。

それを恐慌とみるか、繰り返されてきた人類史中の「感染症との闘い」のひとつとみるか。歴史を顧みれば顧みるほど後者の見方を採り泰然自若としていられると思うのだが、どうも日本人を含めた人類は健忘症に陥りやすいようだ。しかも自虐的健忘症に。

【関連記事】
「マスクの高値転売禁止」で転売ヤーが次に狙っている商品
新型コロナウイルスで「やってはいけない」5つのNG行動
朝から並べる暇人だけがマスクを安く買えるのはおかしい
富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない
バカほど「それ、意味ありますか」と問う