「職員の全ての活動はがん患者の為に!(All Activities for Cancer Patients)」をスローガンに掲げる、新生・国立がん研究センターが、日本のがん医療改革に向けて船出をしてから8カ月が経過した。

日本人の2人に1人がかかると言われ、毎年新たに60万人以上がかかる病気であるがんは、超高齢化社会の加速とともに、その対策は待ったなしの状況だが、国立がん研究センターはその中心となるべき機関だ。

2010年4月、同時に独立行政法人化されたナショナルセンター(国立高度専門医療研究センター)の6つ(国立がん/国立循環器病/国立精神・神経医療/国立国際医療/国立成育医療/国立長寿医療の各研究センター)のなかでも、国立がん研究センターは“長男”的存在であり、同センターの改革の成否は、日本のがん医療のみならず、日本の医療政策の成否を占う試金石といっても過言ではなく、注目を集めている。

<strong>国立がん研究センター 理事長・中央病院院長 嘉山孝正</strong>●1950年、神奈川県生まれ。75年東北大学医学部卒。2003年山形大学医学部長就任。10年4月より現職。09年からは厚生労働省の中央社会保険医療協議会委員も務めている。
国立がん研究センター 理事長・中央病院院長 嘉山孝正●1950年、神奈川県生まれ。75年東北大学医学部卒。2003年山形大学医学部長就任。10年4月より現職。09年からは厚生労働省の中央社会保険医療協議会委員も務めている。

そんな同センターの舵取りをまかされ、就任以来わずか8カ月の間に、矢継ぎ早に改革メニューを打ち出し、実行するのが、理事長・中央病院長を兼務する嘉山孝正氏だ。

嘉山氏といえば、山形大学医学部長としての学内改革で名をはせ、09年10月には大学人として初めて、“医療の値段”を決める、厚生労働省の中医協(中央社会保険医療協議会)の委員に就任した。

同センターのトップとなってからも、そのリーダーシップが評判となっている。

独立行政法人は、法律ではなく定款により動けるため自由度は増すものの、会計が民間企業と同じになるため、がん医療にまつわる包括的な役割(臨床、研究、教育ほか)を担保できるかどうかがカギだ。独法移行時には、借入金債務も668億を抱えて前途多難、ガバナンス(組織統括)の不明確さも問題視されていた。

「着任したときは、唖然としました。権限と責任の所在があいまいで、組織として機能していない状態でした。皆が個人商店のように勝手な方針で動いているような印象で、これでは一丸となってがんに立ち向かうことなどできないと感じました。日本のがん医療は、米国の金持ちのための医療をのぞけば世界一。当センターはその先頭に立つべき施設なのです。そのためには組織を立て直すことが先決だと考えました」

就任当初をそう振り返る嘉山氏だが、実は就任前に無作為抽出による職員からのヒアリングを行い、その結果をもとに問題点を明らかにしていったという。そして、まずは組織改革から行った。就任して3週間で着手し、6月1日には辞令を出した。

「4月の時点では、医長が103人で医師が101人。上司のほうが多かった。こんなおかしな組織はないでしょう。しかも上司と部下の専門領域が違うので指示が届かない状態でした。それで、21の病気別の診療科長制にしてその下に部下を配置したのです」

それから、国立がん研究センターは何のために存在して、何のために活動するのかという役割を、あらためて明確にするべく、「世界最高の医療と研究を行う」「患者目線で政策立案を行う」という2つの理念と、「がん難民をつくらない」「調査」「研究」「技術開拓」「先進医療の提供」「教育」「政策立案」「国際がんネットワークへの参加」という8つのミッションを確立した。この8カ月間で、その一つひとつについての課題を洗い出し、改革案を検討、実行中だ。

(宇佐見利明、岡本 寿=撮影)