写真提供=セブン&アイ・ホールディングス
2017年から東京都内を皮切りにヤマト運輸の宅配ロッカーの設置を始めた。埼玉県、神奈川県と広がってきている。

「お客様」と「未来」に向き合っているか

——つまり、過去が今を決めるのではなく、未来が今を決める。

【鈴木】私が自前の銀行であるセブン銀行の設立を発案したとき、金融業界を中心に「収益源がATMの手数料だけで成り立つはずがない」「素人が銀行を始めても必ず失敗する」……等々、否定論の嵐が巻き起こりました。メインバンクのトップがわざわざ来社され、「銀行なんてそんなに簡単にできるものじゃないからおやめなさい」と忠告もされました。

それでも私が設立プロジェクトを進めたのは、コンビニの店舗にATMが設置されていれば、お客様の利便性は格段に高まると、一歩先の未来像を描いたからです。既存の銀行がハイヤーやタクシーだったら、自分たちはこれまでになかった乗り合いバスのような銀行をつくろう。迷う余地はありませんでした。

——鈴木さんは、在任中、一貫して新しいことへの挑戦を自身に課し、社員たちに求め続けてきました。それはなぜなのでしょう。

【鈴木】なぜ、われわれは新しいものを生み出し続けなければならないのか。それは、売り手やつくり手が常に「お客様」と「未来」から「宿題」を与えられているからではないかと思うのです。

私は出版取次大手のトーハンから30歳のときにヨーカ堂に転職しましたが、流通業がやりたかったわけではありません。トーハンの広報課時代に親しくなったマスコミ関係者と一緒にテレビ番組制作の独立プロダクションをつくるためのスポンサーになってもらおうと思ったのがきっかけでした。入社後も一貫して管理畑を歩いたので、販売も、仕入れも経験がありません。それでも長年、流通企業のトップを務めることができたのは、常に未来を起点にして、「お客様の立場で」考え、その「宿題」に答えようとしてきたからでしょう。

前回、新しいことに挑戦するための仮説を立てるには、既存の概念をうのみにせずに疑問を発すること、発想をジャンプさせること、素人の発想を忘れないことを挙げました。それは、常に「未来」と「お客様」から与えられ続けている「宿題」に答えるためなのです。

——「宿題」を果たすことができない企業は、「未来」からも、「お客様」からも背を向けられることになる。

鈴木敏文氏がこれまで経営について語った言葉から、いまなお輝きを放つ種珠玉の名言(約220)を選び抜いた『鈴木敏文の経営言行録』が日本経営合理化協会より2020年1月発行予定。「経営姿勢篇」「マネジメント篇」「仮説と検証の仕事術篇」の3篇に分かれている。

【鈴木】だから、経営者には、自分たちのあるべき姿を徹底させる力が強く求められるのです。1つのエピソードをお話ししましょう。セブンプレミアムのワンランク上のセブンゴールドの新製品で、インスタントラーメンの「金の麺 塩」を発売する当日のことです。たまたま試食が前日になってしまったのですが、私は「この商品の質は販売できるレベルではない」と判断し、6000万円分の商品をすべて廃棄する決断を下しました。

なぜ、そんなことができたのか。それは「判断の尺度」をお客様に合わせたからです。商品に対するお客様の判断は、おいしければ「買う」、おいしくなければ「買わない」、イエスかノー、どちらか一方で、その中間の「そこそこ」や「まあまあ」はありません。だから私も、イエスかノーかで即断しました。

——ただ、6000万円は非常に大きな金額であることも事実です。

【鈴木】確かに、6000万円分の廃棄は大きな損失です。しかし、セブン-イレブンではテレビのCMなどに億単位の宣伝費をかけます。もし、レベルに達しない新製品を食べたお客様が「セブン-イレブンの商品はこの程度か」とネガティブな印象を持ったら、これから先、どんな宣伝をしても“悪宣伝”になってしまう。目先の損失よりも、もし発売した場合、お客様とわれわれ双方に生じるダメージのほうが大きいと考えました。社内からは、「廃棄せずに社員に配ってはどうか」との声も出ましたが、「お客様に提供すべきでない商品を社員に提供してはならない」と退けました。

妥協するのは簡単ですが、妥協したときから組織は「そこそこ」「まあまあ」に流れ、弱体化していきます。トップにはどんなときにも決断がブレない徹底力を持たなければならないのです。

(文=勝見 明 撮影=市来 朋久)