2.自由と規律の意味がわかっている
識学的強み分析の2つ目は集団の中に存在する“自由”の意味を理解している、ということだ。
昨今、いわゆる個性、自分らしさや多様性、オンリーワン、嫌われる勇気、といったように“ありのまま”でいいんだ、という価値観が流布されているが、事実の仕組みでは、誰のニーズにも乗らない“個性”が評価されることはないし、対価を得ることも無い。これは、「俺の音楽、時代がついてきてない」とか「うちの料理はサイコーだが客がわかってない」という例を考えてみれば明らかだ。
集団競技は、競技そのものに明確なルールが存在するし、さらにはチームごとにルールが厳格に存在する。その枠内で“らしさ”の発揮が求められるのである。
集団を形成している個々人は、まったく違う価値観=マイルールを持ち、その行動様式はその価値観をベースに決定されている。これは、まったく異なる人生経験やその過程で得た知識の違いに起因する。集団で目的を果たそうとする時、これらのマイルールがバラバラで統合されていない状態のままだと、機能的に活動することができない。赤信号を見たら、止まれだ、という共通認識が道路利用者の間に存在するから集団は円滑に動くことが可能となる。集団スポーツ経験者の中では、この規律(競技によってはディシプリンといったりする)が明確に存在し、その中で個性の発揮=自由が与えられる、という感覚が備わっていることになる。
池田潔氏著『自由と規律―イギリスの学校生活』(岩波新書)という50年以上前のベストセラーがある。「自由“と”規律」というタイトルだが、正確に理解するならば「規律“ある”自由」つまり、一定の規律の中に認められた自由と理解するべきなのだ。
個々人のプレーヤーにはそれぞれ得意なことがあり、やりたいプレーや就きたいポジションが存在するが、それが“自由”に発揮されては集団として目的を達成できない。これは、スポーツでも企業組織でも同様なのである。