予想外の異動も出向も前向きに捉えて

その後、施設の改修プランニングなどを担当する施設計画課に異動し、31歳で広報宣伝課へ異動に。まったく違う分野への異動に最初は戸惑いもありましたが、ここから50代で宿泊部長になるまで、途中で小田急ホテルズ&リゾーツに出向する間も含め、ずっとマーケティングや広報の仕事をしてきました。

第1期は異動も多く、公私ともに山あり谷ありの時期でしたが、振り返ってみれば、社外も含めていろんなセクションを経験できて本当によかったなと思います。広報宣伝の時には、ホテルをPRするという立場からホテル内のいろいろな部署と関わることができましたし、外部の職種も違うさまざまな分野の人たちとも一緒に仕事ができました。ホテルをあらゆる側面から見つめることができ、視野も広がりました。

皆さんもこの先、まったく知らない部署や自分には向いていないのでは、と思う部署へ異動になることがあるかもしれません。最初は戸惑うこともあるかもしれませんが、実際にやってみると意外に面白かったり、会社を今までと違う角度から見られたり、自分の新たな適性を発見できたりするものです。その時はわからなくても、複数の部署で働いた経験は後のキャリアで必ず大きな糧になります。ぜひ前向きに捉えてチャレンジしてください。

宿泊部長の仕事は現場スタッフが働きやすい環境づくり

次の「第2期=充実期」は、43歳で出向先からホテル小田急に復職して以降、54歳で宿泊部長になるまでの時期です。この間は当ホテルにとっても大きな転換期で、ホテルに新しくスパが開業したり、3つ星レストランと提携したフレンチレストランが開業したり、そしてホテル センチュリー ハイアットからハイアット リージェンシー 東京へのリブランドと、ビッグプロジェクトが続きました。

そのいずれにも携わることができて、本当に幸運だったと思っています。特にホテルのリブランドは、私のキャリアの中で最も、自ら熱望して取り組んだプロジェクトでした。リブランドはある意味、新しいホテルを作るような思い切った変化が求められるのですが、どのようなやり方でそれを実現するのか経験できるのは大きな喜びでした。外国人上司の下で大変な思いもしましたが、その経験は今ではかけがえのない財産になっています。

45歳でマーケティング部長に昇進しましたが、リーマンショックや東日本大震災もあり、ホテルにとっては大変な時期でした。ずっとバック部門でやってきましたから、54歳で宿泊部長の辞令が下りた時は驚いたものです。宿泊部門はお客様と直に接する“ホテルの現場”。ワクワク、ドキドキしながら引き受け、「第3期=新たなスタート」が始まりました。

宿泊部長になってからは現場に出て、現場を肌で感じること、どのようなお客様がお越しになっているのかを自分の目で見ること、お客様の声に耳を傾けることの大切さを改めて実感しました。また、現場で働くスタッフの姿を見て、「私の役目は彼らがイキイキと働ける環境を整えることなんだ」と思うようになりました。