雑誌のモデルから銀座のホステスに転身し、オーナーママになったクラブ「花恋」の浅倉南ママは、大物になる人物の共通点をこう話す。

クラブ花恋 南ママ

「まず第一印象が、情熱を感じさせ、目がしっかりしています。そして、人が周りに集まってきます。何かしら魅力があり、あの人のためならばと、つい思わせてしまうところのある人で、周りの人が尊敬しているのがわかります。お金との付き合い方もきちんとしていて、女の子へのプレゼントでも、会社の経費で落とそうとはしません。金額の多寡というよりも、綺麗に身銭がきれる人なのかどうかにも表れるのではないでしょうか」

さらに、スタッフの誕生日やお店のイベントなどの記念日にお祝いのおねだりをすると、シャンパンなど少し高額なものを、多少の無理をしてでも笑顔で聞き入れてくれる人は、人の心を掴む勘所を心得ているのではないかと指摘する。

ジャガイモの約束を守った流通革命旗手

東京の銀座と並び称され関西を代表する「大人の社交場」の大阪・北新地。2500店もの高級クラブやバー、飲食店が軒を連ねる。銀座同様、「新地のクラブで飲めるようになれば一人前」の定評を得て久しい。

「大阪が“天下の台所”といわれた300年ほど前、堂島川べりには蔵屋敷が並んでいました。北の新地は、そこに詰めていた各藩の武士や取引先の上方商人の接待場所として登場し、真骨頂は江戸時代から変わらない夜の社交場です。明治時代は花街として発展し、戦後になって高級クラブに代表される社用の街として成立してきました。成功をした人、そして成功を求める人がこの街に集い、飲むんです」と語るのは、北新地社交料飲協会理事長でサルーンバー・ムルソー代表の東司丘興一氏だ。

北新地で老舗のクラブ「桔梗屋」を経てオーナーママになって33年の、クラブ「神原」の神原美恵ママは「新地は人を惹きつける何かを学べるところです。お金より大事なことを教えてくれるところでもあるでしょう」と話す。

新地通いが30年を超え定年間近の会社役員氏も「クラブに入る前には、ドアのところでネクタイを締め直したもの。店で偶然知り合った財界の大物や有名人もたくさんいます。いろいろ人生勉強をさせてもらい、かつ癒やしの場でもある大人の学校といっていいでしょう」と話す。

大阪の繁華街として北新地と競ってきた「ミナミ」に、「大和屋」という十数年前に閉店した高級料亭があった。電力業界の松永安左エ門、永野重雄新日鉄元会長など錚々たる有名人が贔屓にしていた超一流の店だ。その大和屋の宴席から、二次会は北新地の高級クラブに流れるのが定番のコースだった。美恵ママが、その大和屋でお座敷を手伝っていたときに知り合った経営者は大物ばかり。なかでも忘れられない1人が、流通革命の旗手といわれる大手スーパーの元会長だという。

「大和屋さんの宴席で、元会長さんの隣にたまたま座らせていただいたときのことです。『美恵ちゃん、あんたジャガイモ好きか?』って言いはったんです。『好きです』と答えたら、『送ったるから待っとき』というてくれました。私みたいなものへ声を掛けてくれたことに『ありがとうございます』というたんです。偉い方やし、お忙しい方やから、そんなジャガイモのこと忘れてしまうだろうと思ってました。そしたら、『一番で採れたから送ります』という手紙が添えられて、ジャガイモが届いたときには感激しました」