部下の人気取りをしていないか

一方、二つ目の危険性は、上司側の意識に起きる変化だ。前述の通り、例えばクレーム対応などを鮮やかに解決した場合などは部下からの羨望を得やすい。本来上司が存在意義を獲得すべき対象は、そのまた上の上司であり、部下からの存在意義を獲得する必要はない。しかしながら、尊敬や羨望を用いて部下から存在意義を得てしまうと、集団を統制管理できている錯覚を起こす。この状態が悪化すると、常に部下に気に入られていないといけないという意識に展開し、人気取りや機嫌取りの手段として「わたしがやっておくよ、大丈夫」を使うようになるため注意が必要だ。上司が人気取りに走っている組織は、はた目からは雰囲気がよく見えるため内情を認識しにくい。冷静に業績などで見た際、実はパフォーマンスがあがっていない組織になっていることが散見される。

「わたしがやっておくよ」と部下の責任範囲に出張るルールを管理者自身が設定しておく必要がある。事案や金額、クレームの種類など。そして上司が出張ることは、部下の成長の阻害を含め、必ずしも組織パフォーマンスの向上につながらないことを理解しておくべきである。

NGワード2「最悪、私が責任持つから大丈夫」

上記の「わたしがやっておくよ」に比較すると、実行自体は部下に任せているので一見、懐の大きい上司のイメージを持つかもしれないし、部下側も上司がそこまで言ってくれるならと勇気をもって業務に取り組むことができる、といったメリットがあるように見える。

責任には2種類あり、実働責任と結果責任に分けられる。前者はファーストフードなどいわゆる完全にマニュアル化された業務遂行に付帯する責任である。つまり、実行するスタッフはマニュアル通りに業務を“実働”することが責任であって、その実働から生じた結果に責任は負わない。ポテトを200℃で揚げる実働責任は負うが、売れるか売れないか、美味しいか美味しくないかという結果には責任を負わない。

読者が抱える部下の多くが、この実働ではなく、なんらかの結果責任を負っている部下である、という前提を置くと、「最悪、私が責任持つから大丈夫」は、明らかに生じた結果に対して上司が責任を負いますよ、と言っている。これは誤り。

前述の通り、上司部下間には責任の範囲が明確に区切られていなければならない。責任の範囲とは、いつまでにどんな結果をもたらすかと同義であり、この果たされるべき結果に上司が責任を負う、ということは、部下の意識に「やらねばならない」感覚を欠如させてしまう。

ある女性経営者は自分のマネジメントスタイルについて「男性に比べて心配性かもしれません。ゆえに、部下の仕事に細かく手直し介入しがち。ひとまずやらせてみて失敗させてみようというマネジメントが弱いかもしれません」と言う。そこで一念発起して部下に勇気をもって取り組ませるための言葉をかけたつもりが、逆に部下の責任感を失わせる危険性があるのだ。仕事は部下の責任範囲で結果に到達しなければならない。